現金をもらうと急に血色が良くなってしまう

71歳になって貯金がそれなりにあったら、僕ほど「仕事しなくては!」と思う人は少ないのかもしれない。でも僕は妻に任せっぱなしで預金額を知らないので、単純に「もっと稼がなければ!」となっているのも否定できません。たぶん僕は仕事が好きというよりも、「目に見えて、手で触れられるお金」が好きなのだと思います。

だから、僕がいちばん好きな仕事は日雇いや当日払い形式のものです。1日働いて、その場で1万円もらえたら、急に血色が良くなってしまうタイプなのです。今やっている『太川蛭子の旅バラ 蛭子能収のひとりで行けるかな?』(テレビ東京系列)という番組は、最初に10万円を手渡されてスタート。制限時間内にゴール出来て残金が2、3万円あったとしたら、ギャラとは別にすべてポケットに入れていいというルールなのです。

これはめちゃくちゃテンション上がります! そこまで現金に執着する理由はなんなのか自分でもよくわかりませんが、お金が絡んだり、取っ払いの仕事だったりすると生き生きしてしまうから不思議です。

もしかしたら、これは若いときに仕事で苦労したことも関係しているのかもしれません。当時、それは貧乏で、食べるためにいろいろな種類のアルバイト仕事をたくさんしました。漫画家を目指してはいましたけれど、生きていくためには仕事をして稼がなければなりません。「働かざる者、食うべからず」という言葉がずっと頭のなかに響いているような感じで生きていました。

看板屋やちり紙交換など仕事を選ばず何でもやった

仕事内容を見分けるのも苦手だったので、お金をくれるというならどんな仕事でもしました。長崎から上京して20代前半で渋谷の看板屋で働いたあとは、ちり紙交換の仕事も1年半くらいやりました。

ちり紙交換は看板屋に比べてずっと楽だし、なによりも自由でした。朝、会社で車を借りて、そこからはひとりで担当地域を巡回する。もらった古新聞の量でお金が決まる出来高制だったから、出勤時間も自由だし、休みたいときもけっこう休むことができました。あれは楽しかったな。

そのあとにはダスキンの営業もかなり長くやりました。7年くらいは続けたはずです。

これも最初の集合時間にだけ職場に行って、あとはひとりで決められた区域を1軒1軒回るという仕事。訪問販売なので最初はどうしてもお客さんに警戒されて大変なこともありましたが、慣れてくれば気楽ないい仕事だった。

「仕事を辞めても、すぐに次の仕事を探してまた働く」ということを繰り返してきました。

そしてその感覚が70歳を過ぎてもずっと残っているので、いつもマネージャーに「仕事ないかな、仕事」と言ってしまうのでしょう。

こんな僕の考え方をどう思いますか? 貯金額も知らず働き続けるって、意外に悪くない考えだと思うのだけどな。