「仕事の意味」なんて高尚なことは気にしない

「65歳や70歳になってもできる仕事が、そもそもあるのだろうか?」

そう不安に思う人もいるでしょう。でも、いまの世の中を見渡せば、仕事そのものはけっこうあるように見えます。たとえば、どこかの施設の警備員とか、車両の誘導員とかたくさんありますよ、きっと。

もし自分が勤務していた会社でそのまま働きたいなら、嘱託という手段もあると聞きます。給料は下がって立場も平社員と同じかもしれないけれど、やっぱりベテランがいないと回らないということもあるだろうし、それこそいまはどの職場も少子高齢化で人手不足が深刻なので、働く気になって探せば仕事は見つかるのではないでしょうか。

僕は漫画を描くことやタレント活動が仕事なので、需要がないと成り立たない職業です。自分がどれだけがんばっても、オファーがなければ働く場がないし、自分ではいかんともしがたい時代の流れというものも関係します。

でも、僕は別に仕事はなんでもいいと考えているのです。本当に、工事現場で働くでも、ガードマンでもビルの清掃員でもなんでもいい。うーん、工事現場の肉体労働はたぶん体力的に無理かもしれないけれど、自分でも稼げそうなところなら、面接に行くはずです。

あと、ガードマンの仕事も夜中が怖いのでダメかな……。高所恐怖症だから、高い場所の窓拭きなども無理かもしれません。

でも、スーパーの駐車場の誘導員や、マンションの掃除だったら僕でもきっとできる。

働かせてくれるのだったら、僕はよろこんでやります。ひとりでちり紙交換もずっとやっていたし、そのときから仕事内容にこだわりはありませんでした。「自分の好きな仕事」とか「仕事の意味」なんて高尚なことは、気にしたことがないのです。

プライドよりとにかく「現金」がすべて

仕事内容に僕の価値があるわけではないし、そもそも他人がどんな仕事をしているかなんて、年を重ねるごとにどうでもよくなっていきませんか?

僕にとっては、自分が働いて稼いだという、そのよろこびこそが大切なのです。

「仕事内容にこだわりがない」なんて言うと、「芸能人でそこまで言い切れるなんて凄い」なんて言われることもあります。でもそれのなにが凄いかが、自分ではまったく理解ができません。

きっと僕にはプライドというものがないのでしょう。とにかく必死になって、お金をもらうためにがんばるのみ。だから、いまテレビの仕事がなにかのきっかけでまったくなくなったとしても、すぐにアルバイトに出るつもりだし、とにかくお金をくれるならなんでもやります。