国内の新聞社やテレビ局などで構成される「記者クラブ」は日本独特の制度だ。元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏は「この制度の存在に何度も驚かされてきた。忖度や同調圧力が飛び交う雰囲気のなかで、半ば談合的に記事が生み出されているのではないか」と指摘する——。
※本稿は、望月衣塑子、前川喜平、マーティン・ファクラー『同調圧力』(角川新書)の第3章「メディアの同調圧力」の一部を再編集したものです。
「質問を事前に伝える」謎習慣
日本ならではのシステムと言っていい、この記者クラブ制度という存在に何度も驚かされてきた。
たとえば2003年。私はAP通信からウォール・ストリート・ジャーナルへ移り、東京支局の特派員として取材にあたっていた。日本銀行の福井俊彦総裁の記者会見が開かれ、私もぜひとも取材したいと日本銀行広報部へ連絡を入れた。返ってきたのは意外な言葉だった。
「私どもではなく、記者クラブの許可を取ってください」
記者クラブは加盟しているテレビや新聞各社が、持ち回りで幹事社を務めている。幹事社の担当記者に連絡を入れると、記者クラブ加盟社ではないという理由でいきなり断られた。食い下がると、ある条件つきで出席を許可された。それは福井総裁へ質問をしないことだった。
日本の場合は総理大臣をはじめとする政府高官の記者会見において、質問を事前に通告する習慣が定着している。アメリカではありえないことだ。たとえばトランプ大統領の記者会見では何をぶつけてもいい。
自分が取材を受ける場合、事前に言われていれば、考え方を整理しておくうえでも助かると思う。それ自体は悪くはないと思うが、答える側にとって都合の悪い質問を除外することを目的にしているとすれば、悪しき習慣だと言わざるをえない。
実際、日本の政府高官の記者会見は判で押したような質疑応答になっている。質問する側の例外の一人が東京新聞の望月衣塑子記者だ。質問するという記者として当たり前の仕事をしているようにしか見えないが、その望月さんが浮いているという状況が、今の日本メディアを物語っている。