「ポチ」に戻ることを自ら選んだ

話を朝日新聞の「吉田調書」の件に戻せば、記事の取り消しや記者の処分以上に、ジャーナリズムを担う組織として重大な過ちを犯してしまった。

朝日新聞は特別報道部に所属していた記者の数を、いきなり半分ほどに減らしてしまった。部署こそ存続させたものの、金看板として掲げていくはずの調査報道に白旗をあげ、実質的に撤退した。

安倍政権や同業他紙、そして世論から非難の集中砲火を浴び、読者から寄せられていた信頼も著しく失墜。発行部数も激減していく危機のなかで、生き残るためには高いリスクを伴う調査報道を捨て、再びポチに戻ることを朝日新聞は自ら選んだ。

読者の期待を裏切ってしまった朝日新聞が、再びジャーナリズムの矜持きょうじを見せたのは2017年2月。森友学園問題の調査報道まで待たなければならなかった。

メディアは信頼を失い、レイシストが跋扈ばっこする

ジャーナリズムが本来の役割、つまり権力の監視役を果たしていない状態が続けばどうなるのか。本来は面白いはずの政治に対する無関心だ。

日本は、革命の歴史がない民主主義国家である。国民が自分たちの手で王室やアンシャンレージムを倒して、民主主義を手に入れたという経験はない。そのため、主権が国民にあるという、民主主義の最も基礎的な考え方を持っていない。日本の今の民主主義は、占領軍が持ってきたものだから、国家が自分たちのものだという意識も薄く、お上(官僚)国を任せてしまう。権力者を常に監視しないとダメだという意識さえ薄い。そのため、権力側の意向を忖度するような報道があっても、あまり違和感を感じない。

既存のメディアに対する不信感も増幅されていく。しかし、生きていくうえで情報を得る作業は欠かせない。そして、情報が一方的に発信されるだけだった新聞、テレビ、雑誌などの既存のメディアに取って代わる存在となったのがソーシャルメディアだろう。

もっとも、オンライン上でユーザー同士が双方向で情報を共有することで成り立つソーシャルメディアは、情報を不特定多数へ素早く伝えられる利点がある一方で、いわゆるフェイク・ニュースが拡散されやすい点で、諸刃の剣だ。

そうした背景が、極端に偏った主張や感情論をツイッター上などで繰り返すTroll(荒らしや)という新しい存在を生み出した。意見があまりにも攻撃的で、主張も際立っているがゆえに目立つ。

歪んだ人間関係のなかで匿名にて発信できるツイッターは、荒らす人にとって理想的なツールだろう。