性欲の意味がわからなくても、話すべきことがある
筆者はフランスで結婚・出産し、現在は小学生男児2人を現地の公立小学校に通わせている。日本で生まれ育ち、25歳まで暮らした身には、文化習俗の違う国での子育てはカルチャーショックの連続だ。その中でもかなり強く記憶に残るであろう体験をしたのは、今年初頭のこと。6歳の次男に、臨床心理士から「性教育」を勧められたのだ。
きっかけは次男の利用していた公立施設で起こった、未就学児への性犯罪だった。事件が公になったと同時に、自治体から、同時期・同場所を利用していた児童への心理カウンセリングの案内が来た。幸い次男に被害の兆候はなかったが、念のためと窓口に電話をし、担当の臨床心理士と話をした。次男の言動や生活習慣に異変が出ていないことを告げ、幼児への性加害についてレクチャーをされたのち、心理士は言った。
「この件をきっかけに、お子さんに『性に関する教育』をしてくださいね」
予想もしなかった助言に、筆者は大慌てで答えてしまった。「いやいや、被害がなかったのだから、逆に何も言わないほうがいいのでは?」。性欲の意味すら分からない幼児に「性的なこと」をあえて話すなんて! と、半ば条件反射的な反発だった。すると心理士は、言い含めるようにこう続けた。
6歳の子どもにも「大きな声で叫ぶ」と教える
「お母さん、今回はラッキーだったんです。残念ですが犯罪者はどこにでもいます。男の子でも女の子でも関係ない。自分を守るために、子どもたちは『されてはいけないこと』と『ノー』の言い方を知るべきなんです」
それからの助言はとてもシンプルで具体的、かつ、私が予想していた「性教育」とは全く異なるものだった。
あなたの体はとても大切なもの。特に水着に隠れる部分は、誰も見たり触ったりしてはいけない。そうする人はおかしい。そんなことになったら、その場から逃げるか、大きな声で叫ぶこと。以上。
「それだけですか」
「6歳なら、それ以上を知る必要はありません。でもこれだけでも簡単ではないと思います。言いすぎて怖がらせるのは良くないですが、折を見て、繰り返し教えてあげてくださいね」
そうして電話を切った時、私は目からうろこが落ちたような気持ちだった。
子ども自身に性の目覚めはなくとも、彼らに性加害をする人間はいる。
それに対して身を守る手段を得ることもまた、「性に関する教育」なのだ、と。