東京・浅草の田原町にべらぼうにうまいパン店、ペリカンがある。商品はもっちりした食感が味わい深い食パンとロールパンのみ。予約可能だが、1日分に当たる食パン400~500本、ロールパン4000個が売り切れたら閉店だ。ここ数年の“パンブーム”の一翼を担っているといっていい。地道に誠実に、素朴で飽きのこないパンをつくり続けて76年。その味が再評価され、連日行列が絶えない。ブームの機運に乗りつつ、浮かれずにその味を守り抜く覚悟を持つ次世代が最近、屋号を継いだ。中沢孝夫兵庫県立大学大学院客員教授が、老舗パン店の今に迫る。

陸店長(写真中央ジャケット)と実母の馨社長(右端)。

「時代遅れのパン」が、ブームの中心に

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「2代目の祖父・多夫は夕食後、自分のパンをまるでデザートのようにおいしそうに食べていたんですよ(笑)。商売が苦しい時期もあったはずですが、そういう話はしない人で、そんな祖父が僕は大好きでした。だからさほど悩むことなく、自然に家業を継ぐ気持ちになりました。店主自身も毎日おいしく食べているパンをつくり続けたいと」

ペリカン専務取締役兼店長で4代目の渡辺陸氏(31歳)。叔父の猛氏が3代目となった2007年当時は、パンブームの兆しもあり業績はよかったが、それ以前は厳しい時期が続いた。

「バブル時代は浅草全体の調子も悪く、当店の売り上げも今の半分くらいだったらしい。華やかさに欠ける時代遅れのパンと思われたのでしょう。ですから、常連さんや卸しているレストラン、喫茶店などに支えられました。業績上昇のきっかけは1990年代半ばにTV番組『出没!アド街ック天国』で紹介されたこと。その頃から客層に変化が起きて、常連さん以外のパン好きや観光客の方々も買いにきてくださるようになったそうです」(陸氏、以下同)

たった2種類のパンしか扱わないのは、巷にパン店が増え始めた時期に2代目の多夫氏が「周りのパン店と競争したくない。だから、品数を絞って味を深く追求し、ホテルやレストランなどに卸す高級パン専門にしよう」と考えたのがきっかけだという。国民の生活レベルが上がった現在は小売りの売り上げが7割だが、3割は今もつき合いの長い飲食店向けの卸。味に妥協は許されないのだ。

「職人の大切な能力の1つは“普段と異なったこと”への対応能力。たとえば、仕込みをミスした際の修正能力や、木の破片などが混入しないような気配りができないと職人にはなれません」

従業員の平均年齢は約38歳。辞める者があまりいないという。幸い、4代目の陸氏だけでなく、職人にも後継者たちが育っているそうだ。