勤勉さが必要な場面を見極める
私たち日本のビジネスパーソンは勤勉だと、よく言われます。では、海外のエリートたちは、私たち日本人と違って怠惰なのでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。違いがあるとすれば、ともに働いた海外の同僚たちの多くは、とにかく「どのような場面でも」全力で取り組むという種類の勤勉さは持ち併せていないことです。
それは彼らが不真面目だからではありません。手を抜くのは、一生懸命やっても効果がないと考える場面だけです。逆にいうと、がんばることが目標の達成につながると考えれば、私たちにも負けないくらいに、いやそれ以上に勤勉に働くのです。
彼らは、目標というものを強く意識していました。たとえば「いつまでにこれだけのアウトプットが必要」と目標を設定されれば、それに向けて全身全霊で取り組みます。
一方、たとえやることを決められていたとしても、状況が変わり、目標の達成につながらないと判断したことに関しては「ムダな努力」と見なし、ばっさりと切って捨てます。勤勉でないというより、勤勉さが必要な場面とそうではない場面を見極めて、自分のリソースを効率的に使っている、といったほうが実状に近いでしょう。リソースが有限であることを強く意識し、力を入れる勘どころをしっかり押さえ、リソースを効率よく使って最大限の成果を出そうとするのです。
「がんばっているプロセス」に価値はない
ある企業買収案件のアドバイザリー業務に関わっていたときのことです。週1回、私たちはグローバルに事業を展開するクライアント企業の担当役員と国際電話による定例会議を行なっていました。毎回活発な議論となる、たいへん重要なミーティングでした。
ある日、いつものようにクライアントとの電話会議を始めると、先方から次のひと言が発せられました。
「今日のミーティングの目的は何でしたっけ?」
いつもどおりにミーティングを進めようとしていた私たちは、ハッとさせられました。というのも、この1週間は特段状況に進展がなく、長い時間話し合う必要もなかったからです。
「状況が状況ですし、今日は早めに切り上げましょうか」
クライアント側のそのひと言にその場にいた全員が納得し、その週のミーティングは早めにお開きとなりました。
私たち日本人の感覚からすると、クライアントの対応は一見、クールにみえるでしょう。しかし、彼らは結果の如何にかかわらず、「どのような場面でも」全力で取り組むということはしません。これも、グローバルに活躍している人の仕事意識の「1%の違い」です。
手を抜かないのはいいことなのですが、「がんばっているプロセス」に価値を見出しているために、ときにそれがムダを生み出し、仕事の生産性を下げている面は直視すべきです。
自分の仕事が終わったのに、上司が帰らないから残って仕事をするふりをしたり、残業が「がんばっているアピール」になると考えたり……。こうした姿勢は生産性を下げるばかりか、長時間労働の温床にもなってしまいます。