仕事も家庭も大切にする「デキる男」という虚像

結局多くの男は、日本の「デキる男像」みたいな虚像に囚われすぎているんですよ。その1つは、ビジネスマンとしての成功と家族の幸せを両立させている、というもの。でも、家庭と仕事を両立している人って、私の周りでは極めて少ない。島耕作もそうです。娘の誕生日より会議ですから(笑)。

漫画家 弘兼憲史氏

当然そうしないと出世できないし……というところは、残念ながらありますよね。だから、成功したビジネスマンは往々にして家庭では孤独です。

いま、働き方改革が叫ばれていますけど、トップに上りつめる人は、そんなこと考えていない。でも、「仕事以外の私生活も大事」と言っておかないといけない社会的な立場にあるから、言っているというだけです。もちろん、一方で、家庭を一番に考えて、一番のお父さんになるという幸せもありますよ。それも立派な生き方です。どちらの人生を選ぶかは自由です。

僕たち団塊の世代は、一世代前のモーレツ社員の働き方を見て社会に出ました。半分はモーレツ社員になり、もう半分はその反動で家族を大事にした生き方をしようと思った。では、モーレツ社員を選んだ人たちがどうなったかというと、定年すると家族から疎外されてしまうんですよね。仕事という生きがいを失うと、体の免疫力が衰え、病気になって周りから見てもすごい勢いで落ち込んで小さくなっていく。そんな人をたくさん見てきました。

サラリーマンは、50歳くらいには先が見えているんですよ。会社でこの先どれくらい出世できるか、役員になれるのか、このまま定年で終わりか。大半の人は“このまま定年”でしょう。そうしたら、会社で無理にがんばるのをやめて、50歳のうちから第二の人生をどう生きるか考え始めないといけません。たとえば蕎麦屋をやりたいなら、50歳のうちから休日に全国の蕎麦の名店を食べ歩くとかね。

一方で、取締役まで残れたところで、65歳くらいには、社長・会長にならない限り会社生活は終わります。そんな人たちも、仕事を終えると気持ちが内向きになって、だんだん飲みの誘いもこなくなる。銀座であれだけ遊んでいたのに、と思ってしまいますよ(笑)。

ごく稀なケースが、一流の経営者。彼らは最後まで自分に責任を持って生きていくから、ある意味で「孤高」なんでしょうね。たとえば、ユニクロの柳井正さんや、ソフトバンクの孫正義さん。でも、彼らは突き抜けた人たちで、自分でなんでもできてしまうので、他人には真似はできない。そういう人たちは、後継者が見つからないという悩みがあるかもしれないですね。

だから、極端な例外をのぞけば、どんな人でも自分が必要にされなくなったときのことを、仕事でも家庭でも、考えておかなくてはいけない。たとえば若いうちでもバリバリの外資系で活躍している人が、ふとプロジェクトがなくなることだってある。人生のシチュエーションが変わったときに、どう振るまうか。自分一人での楽しみ方を準備できないとね。遊ぶにしても、銀座のクラブは無理でも、近所の飲み屋でもいいじゃないですか。