2018年のノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラド・バセ・タハ氏は、過激派組織「イスラーム国」(IS)に拘束され、“性奴隷”として扱われた。著書『THE LAST GIRL イスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語』(東洋館出版社)では、その壮絶な体験を明かしている。なぜ彼女は拘束されたのか。同書の翻訳協力者である中東調査会の高岡豊氏が、組織的な性暴力の背景を解説する――。
ノーベル平和賞受賞者の壮絶な体験
本書は、2018年のノーベル平和賞受賞者のナディア・ムラドさんの壮絶な体験の書であるとともに、彼女が属する「ヤズィディ」と呼ばれる人々の共同体が被った恐るべき被害の記録でもある。
著者は、イラク北部に居住するヤズィディと呼ばれる人々の一員である。ヤズィディの信仰やその実践については、本書で著者の視点から述べられているため詳述しないが、彼らの信仰の核心部にあると思われる孔雀天使は、ムスリムからは悪魔と同一視されることもあるため、ヤズィディの人々は「悪魔崇拝者」として差別や迫害を受けがちだった。
これに対し、ヤズィディの人々も異教徒の改宗や異教徒との通婚を認めずに、共同体を営んできた。著者が生まれ育った時代においても、ヤズィディの共同体はアラブ人、イラク国民、クルド人など、さまざまな属性を押し付けようとする圧力の中にあった。それでも、彼らはイラクのへき地で、一応は周囲のアラブやクルド、ムスリムなどの民族・宗教共同体と共に生活し続けてきた。
イラク戦争後に変化し始めた環境
そんな彼らを取り巻く環境は、2003年のイラク戦争後に変化し始める。フセイン政権打倒後、ヤズィディの人々の下にもアメリカ兵たちや携帯電話、衛星放送などが姿を現した。ヤズィディの人々が外部の世界と接する機会が拡大したのである。
その一方で、イラクの治安悪化に伴い、ヤズィディの共同体を取り巻くムスリムの間に、イスラーム過激派の思考・行動様式が着実に浸透していった。2014年に彼らを襲い、恐るべき被害をもたらした「イスラーム国」は、何の脈絡もなく突然発生したわけではなかった。