著者らを「政治的に」利用する人々

確かに、「イスラーム国」は「サビーヤ」や少年兵にした者以外のヤズィディの人々を殺戮した。その一方で、著者やヤズィディの共同体を虐げたのは、「イスラーム国」だけだったのだろうか?

著者は、「イスラーム国」以前はヤズィディの人々とも交流があった顔見知りたちの中にも、「イスラーム国」によるヤズィディ虐待に積極的に参加した者を複数目撃したのである。そうした体験を経て、著者は「機会があればヤズィディなんて皆殺しにしたい」と思っている「スンナ派ムスリム」に取り囲まれているのではないのかという恐れ、不安、そして怒りにさいなまれることになる。

また、本書には著者らを政治的に利用した人々も登場する。彼らの振る舞いは、著者をはじめとするヤズィディの人々だけでなく、著者の救出に決定的な役割を果たした人々の運命を決したものだった。さまざまな裏切りに直面し続けてきた著者は、救出後に彼女の前に現れた「活動家」たちも全面的に信頼しているわけではなさそうだ。

ヤズィディを虐げた「傍観者」たち

ヤズィディの人々を虐げたのは誰か、という観点から最も重要な存在は、ヤズィディの人々への虐待・殺戮を傍観した人々である。それは、結果を知りつつもそれを防止するために何もしなかった「スンナ派ムスリム」である。「イスラーム国」の圧迫下にあった一般の人々は、通常被害者と認識されるのだが、彼らも著者の怒りや不信の対象である。また著者は、教理・教学面で「イスラーム国」と対決しなかったスンナ派の指導者らも告発する。

「イスラーム国」が台頭した2013年~2014年の間、同派の占拠地域に潜入し、彼らと接触したジャーナリストや専門家も少なからずいたはずだ。しかし、そうした人々のうちどれだけがヤズィディの共同体への虐待・殺戮について発信しただろうか?

危険を冒してまで「現地入り」した末に、「イスラーム国」を正当化するような情報を発信しただけならば、「現地取材」の意義が問われる。本書は、ヤズィディの人々を虐待・殺戮から救うという観点から、どれだけ効果的な情報の収集・分析・発信ができたのか顧みる契機でもある。