「可能な限り説明するのが私の責任」
シリアで武装勢力に拘束され、3年4カ月ぶりに解放された44歳のフリージャーナリストの安田純平さんが11月2日、解放後初めての記者会見を行った。会場の日本記者クラブ(東京・内幸町)には約390人の報道陣が詰めかけ、テレビカメラだけで約40台が並んだ。
ブラックスーツに濃紺のネクタイを締めた安田さんは、少し痩せたように見えたが、「可能な限り説明するのが私の責任」と当時の模様を毅然と話した。
安田さんは冒頭、次のように述べて深々と頭を下げた。
「解放に向けてご尽力いただいた皆さん、ご心配いただいた皆さんにお詫びしますとともに、深く感謝申し上げたいと思います」
「私自身の行動によって、日本政府が当事者になってしまった点について、大変申し訳ないと思っています」
安田さんは会見中、言葉を選ぶように話し、その態度は終始、丁寧で謙虚だった。
「もう駄目だ。殺してくれ」と叫んだこともあった
約2時間半にわたった記者会見の最後、安田さんが日本記者クラブのサイン帳に書いた「あきらめたら試合終了」という一言が紹介された。安田さんはこう説明した。
「何度も絶望して拘束された部屋の壁を蹴って『もう駄目だ。殺してくれ』と叫んだこともあったが、希望は最後まで捨てなかった」
「あきらめたら、精神的にも肉体的にも弱くなってしまう」
「いつかは帰れるとずっと考え続けた」
生命力の強さとジャーナリスト魂には頭が下がる
いつ殺されてもおかしくない状況だった。そんななか、安田さんは「あきらめたら試合終了」の精神でよくがんばった。
もし自分が安田さんだったら、劣悪な環境での3年4カ月もの長い拘束に耐えられただろうか。いやできないだろう。舌を噛み切って自殺するか、そのまま狂い死んでいただろう。安田さんの生命力の強さとジャーナリスト魂には頭が下がる。
危険な紛争地取材について安田さんは「紛争地で何が起きているのか。それを見に行くジャーナリストの存在が必要だ」と語る。
当事国や関係国、関係者の発表だけでは真実が見えないことが多い。ましてや紛争や戦争となると、嘘の発表も横行する。