「日本政府に金を要求する。人質だ」と告げられた

安田さんは過激派組織のイスラム国(IS)の情報を入手したことで、ISと対立する他の反体制組織が統治するシリアのイドリブで取材しようと考え、2015年6月22日の深夜にトルコからシリアに入ったが、途中でガイドとはぐれて拘束された。

「拘束は私の凡ミスだ」と言う。

当初はゲスト扱いでテレビを見ることもできたが、1カ月ほどたってから「日本政府に金を要求する。人質だ」と告げられた。ただノートを渡されメモを書くことは許された。

アパートの地下室、戸建ての民家、巨大収容施設など約10カ所で拘束され続け、ときには幅1メートル、奥行き2メートルほどの独房に入れられ、身動きや音を立てることを禁じられ、寝返りも許されない拷問を受けた。

イスラム教に改宗すれば、1日5回の礼拝が許され、体が動かせるということで、名前を「ウマル」と変えた。日本人と名乗ることは禁じられた。

「批判があるのは当然だ。自業自得だと考えている」

「殺されても文句は言えない」
「政府にお尻を拭いてもらった」

安田さん解放のニュースに対して、ネット上では「自己責任ではないか」との批判が噴出した。テレビのワイドショーでもコメンテーターらが、危険を顧みず、国の制止を振り切って紛争地のシリアに入った取材の是非を問題視した。

こうした批判に対し、安田さんは「私自身に対して批判があるのは当然だ。紛争地に行くのは自己責任だと考えている。日本政府が紛争地から拘束された日本人を救い出すのは難しい。相応の準備をして自分の身に起きるものについては、自業自得だと考えている」と述べた。家族には「何もしないように。放置するように」とのメッセージを残したという。

こうした発言を聞き、自分の信念を持った男だと、沙鴎一歩は感じた。

安田さんは埼玉県の出身で一橋大を卒業後、1997年4月に信濃毎日新聞社に入った。2002年3月に休暇を取って米軍のアルカイダ掃討作戦が続くアフガニスタンを訪れた。同年12月には開戦前のイラクに10日間滞在した。翌2003年1月には信濃毎日新聞社を退職し、フリージャーナリスに転身した。

安田さんはこれまでもイラクで2回、身柄を拘束された経験があり、今回は3度目の拘束だった。