同席して彼と直接話していた者に聞いたところ、「彼はそんなことは言わなかった」と言っていたので、私の空耳ということになる。しかし、私ははっきりとその声を聞いた。もしかしたら彼の心の声だったのかもしれない。

私たちは、明日も頑張ろうと言って別れた。彼は、翌日の朝、自宅で首を吊った。

そして、破綻

なぜ? 私にはわけが分からなかった。ショックだった。どうしてもっと話し込んでいなかったのかと後悔した。

自殺──。第一勧銀事件の際の、宮崎邦次相談役に続いて二人目だ。私こそ、自殺したいほど落ち込んでいた。

彼の自殺の2カ月後の9月、日本振興銀行は破綻した。

破綻の決議は、早朝、顧問弁護士事務所で極秘に行い、私はマスコミに見つからないように金融庁に届け出た。

不幸は続く。社外役員のA・Mさんが急死された。私は憤死だと思った。彼は、木村さんと親しかった。だから信頼もしていた。弁護士のT・Aさんも同じだろうが、裏切られたという憤りが命を縮めたのだろうと思う。

私は、日本振興銀行の社長を解任された。

これで終わったと思った。毎日、記者に囲まれ、頭を下げる日々がようやく終わった。近所の人たちから白い目で見られることもなくなる。そう思っていた。

さらなる不幸――50億円の賠償で訴訟され、自宅差し押さえ

ところが、さらに不幸が待っていた。

平成23年の8月のある日、妻が玄関のドアを開け、転がるように飛び込んできて「お父ちゃん、預金がない!」と叫んだ。

事態が飲み込めない。私は、銀行に電話をした。なんと差し押さえをされているという。

「えっ」

絶句した。

私や平さん、公認会計士S・Mさんは木村さんたちと一緒に、日本振興銀行の債権回収に当たっている整理回収機構から訴えられたのだ。訴訟金額はなんと50億円!

自宅も預金も差し押さえられてしまった。

私は、謝罪会見などをしたためにテレビや講演などの仕事はすべてキャンセルになっていた。仕方がない。幸い原稿の仕事だけはキャンセルされなかったのは、ありがたかった(それでも出版社に文句を言う人がいた)。

世の中というのは、頭を下げたら、みんな悪人扱いなのだとよく分かった。

妻には迷惑をかけたので、さあ、これから頑張るぞ、という時に訴訟と差し押さえだ。

普通に生きている人がこんな目にあうことはないだろう。