私は、刑事事件後、金融庁から依頼されて、記者会見に臨んだ。「あなたが前面に出ないと収まらない」と言われたからだ。
覚悟を決めて記者会見に臨んだ。その時、会場にいた日経新聞の記者(彼は、私の銀行員時代からの知り合いだ)から「小畠(江上の本名)さんは、銀行員時代も不祥事の矢面に立ち、今回もそうなりましたが、ご自分で数奇な運命だと思われますか」と質問を受けた。
なるほど、と私は思った。銀行員時代は東京地検、日本振興銀行の社外役員では警視庁と人生で強制捜査を二回も受けることになった。こんな経験をした者は、そういないだろう。
「運がいいとか悪いとかということではなく、私に役割があるならそれを誠実に果たしたいと思います」
私は答えた。
二度目の知人の自殺
その日から、怒濤(どとう)の日々になった。木村さんに代わり社長になってしまった。友人は、火中の栗を拾ったと同情してくれたが、ここで逃げ出すわけにはいかないと思ったのだ。
社外役員の平将明さん、弁護士のT・Aさん、公認会計士(ベテランで業界の重鎮)S・Mさん、経済評論家(業界の重鎮)A・Mさんの全員が問題を正面から受け止め、誰も逃げ出すことはしなかった。なんとか再建しようと奔走した。
しかし木村さんや他の執行役員が逮捕されるなど、混乱は続いた。そして業務内容の調査をすればするほど、その内容に唖然(あぜん)とせざるを得なかった。金融庁からは厳しく追及され、破綻処理がすでに予定されているような気がした。
木村さんは、我欲のためにこの銀行を作ったわけじゃない。集まった社員たちも同じだ。なんとか中小零細企業を支援したいと思っていた。社外役員も同じだ。この銀行をつぶしてはならない。そう思って昼夜、努力した。
そんな中、平成22年7月末、社外役員の弁護士T・Aさんが自殺した。
ショックだった。
彼は、私が一番頼りにしていた人だった。
自殺前日まで業務内容の調査をし、弁護士事務所で打ち合わせをし、深夜、レストランで関係者と食事をした。その中にT・Aさんもいた。
T・Aさんは、まだ若く、食欲旺盛だった。
私は海鮮スパゲティを頼んだ。彼は、あっと言う間に自分のスパゲティを食べ終え、どういうわけか私のも食べた。私は、もう一皿、海鮮スパゲティを頼んだ。彼は、他の人と話していた。その時だ。スパゲティを食べている私の耳に「いずれ僕の覚悟が分かりますよ」と聞こえてきた。