弁護士の奥野善彦さんは、整理回収機構の代表を務めたこともある大物だが、「ひどいことをする」と憤った。世の中には多くの社外役員がいる。倒産した会社にもいる。しかし善管注意義務違反で訴えられたことはない。初めてのケースだ。ましてや差し押さえなど……。
金融庁の幹部も、内々で「申し訳ない」と言った。ペイオフが混乱なく実施できたのは、私たち社外役員がまとまっていたからだと感謝してくれていたから、余計に申し訳ないと思ってくれたのだろう。
「のに病」から立ち直り再スタートを切る
私は「のに病」に陥りそうだった。私は57歳だ。それまで真面目にやってきた「のに」、仕事は無くなり、預金も自宅も差し押さえられ、もし裁判に負けたら、「破産」するしかない。57歳からどうやって再起すればいいんだ。
人助けだと思ってやった「のに」、火中の栗を拾った「のに」……。頭の中に「のに、のに、のに」が渦巻いた。
しかし受け入れざるを得ないと諦めた。幸い奥野さんの紹介で梶谷綜合法律事務所の有力な弁護士の方々の応援を得て、訴訟に立ち向かった。
社外役員で生き残っているのは私と平さんとS・Mさんの3人だけだ。この3人が訴えられたわけだ。破綻に責任はある。社外役員が機能しなかったと言われれば、結果を見ればその通りだ。しかしやるべき経営監視は怠ってはいなかったと思っている。それでも結果が悪ければ駄目だと分かっている。それに私欲を図ったことはない。どうしてこんな目にあうのだろう。事態を受け入れたのだが、悔しさは募った。
平成27年7月に裁判長から3人で6000万円支払い、和解するよう勧告された。私にとっては大変な金額だが、3人で相談し、和解勧告に応じることにした。その理由は、S・Mさんがストレスから健康を害されたことと、平さんも私も早くすっきりさせて新しく出発したかったことだ。
裁判は終わった。
「人生に無駄なし」
こうやってつらつらと思い出を書くと、ひどい人生だ、しくじり人生だと思うだろう。
でも私が得た結論は、「人生に無駄なし」ということ。
日本振興銀行の問題のおかげで弁護士の奥野さんをはじめ、多くの有力な弁護士先生と友人になれた。今でも親しくお付き合いさせていただいている。
平将明自民党議員とは戦友になれた。
金融庁の幹部たちとも親しくなり、今も情報交換をし、いろいろなことを教えてもらう。
一緒に苦労したスタッフは、皆、多方面で活躍していて、今でも連絡を取り合う。