目下の政局は「第二次戊辰戦争」か
「150年前、明治という時代が始まったその瞬間を、山川健次郎は、政府軍と戦う白虎隊の一員として、迎えました」。このようなエピソードから始まった2018年1月22日の施政方針演説は、少なからぬ驚きをもって受け止められた。山川は維新期、朝敵とされた会津藩士でありながら、東京帝国大学総長に就いた立志伝中の人物だ。
安倍晋三が指摘するように18年は明治維新から150年の節目だ。ただ、戦後処理をめぐり、長州と会津の間には今なお溝がある。地元が山口県の安倍が、それを知らぬはずがない。その背景を踏まえれば異例の言及だった。
「公文書の書き換え疑い」との朝日新聞スクープをきっかけに、森友政局が再燃している。忖度、お友達政治など、わかりやすいフレーズが躍り、政権批判が喧しい。自民党関係者は語る。
「政治的圧力をかけたとの疑惑がかかる安倍首相は、長州藩士の血を引きます。そして、政権から主犯とされた前国税庁長官、佐川宣寿は1957年、福島県平市(現・いわき市)に生まれました。目下の政局は『第二次戊辰戦争』と指摘されています」
佐川氏の保険業界への天下りはチャラに
福島にはかつて、磐城平藩が置かれた。戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟に与し、新政府と戦った。1868(慶応4)年1月、京都南郊で勃発した鳥羽・伏見の戦いから1年半続いた戊辰戦争で、国内は大きく分断された。
この戦争では、薩長を中心に、新政府側が掲げた王政復古の理念に対し、東北諸藩は幕藩体制の存続にこそ正義があるとし、激しく抵抗した。なかでも、会津藩は鶴ヶ城(会津若松城)陥落時に、遺体の埋葬が許されなかったとの伝承が残り、薩長新政府への遺恨のもととされる。そもそも、明治体制は天皇を元首とし、強固な中央集権体制を敷いた。一方、幕藩体制はイメージと裏腹に各藩の裁量は大きかった。
「同じ長期政権として比べると、小泉純一郎内閣は、どのメディアとも対等に対峙してきました。安倍内閣は、産経、読売や保守系メディアに肩入れする一方で朝日新聞は敵視してきました。1度、『敵』だと認定されると破滅するまでやり込める安倍内閣。それは沖縄県知事や東京都知事への対応でもそうでした。佐川も敵認定されたとすれば、破滅するしかないでしょうね」(前出 自民党関係者)
野党の大物議員も「佐川は保険関連の協会への天下りが内定していましたが、チャラになったそうだ」と語る。