育児は「若葉マーク者ひとりではできない」
今、「ワンオペ育児」という言葉が定着しようとしている。
「ワンオペ」とは「ワンオペレーション」の略で、ファストフード店やコンビニエンスストアなどでの一人勤務という過酷な労働環境を指す言葉であるらしい。
この「ひとりで何もかも」という状況が、ひとりで仕事・家事・育児のすべてを回していかなければならない母親の「ひとり育児」と似ていることから、ネットを中心に広く使われている。
私自身、2人の子どもを育て(いずれも成人)、また教育・子育てアドバイザーとして多くの母親たちの奮闘ぶりを見てきた。そこで痛感するのは、育児は「予測不能なこと」の連続であり、未経験者や「若葉マーク」の人間がひとりで行えるものではない、ということだ。
したがって、母親ひとりの頑張りだけではどうにもならないのだが、この国では「母親なんだから(ワンオペで)頑張って!」と片付けられがちである。しかし、繰り返すが、ひとりの「頑張り」ではどだい無理なのだ。
▼最大のサポーター「そうかいオバサン」が消えた
かつて日本には“社会的資本”としての「そうかいオバサン」がいた。
「そうかい、そうかい、そんなことがあったのかい」と新米ママの愚痴を聞いてくれる近所のオバサンたち。彼女たちは今や絶滅の危機で、そのせいでママたちの孤軍奮闘ぶりに拍車がかかっている。誰にも頼れないという疲弊感が悪循環を生んでいるのだ。
ちなみに、「そうかいオバサン」は筆者の友人の造語である。専業主婦世帯が大半だった時代には、子育てから卒業した「卒母」がいた。ところが、いまや「そうかいオバサン」は全国的に絶滅危惧種と化している。なぜなら多くの「卒母」が「おせっかい」と嫌われるリスクを避けるようになっているからだ。
時間的に余裕のある彼女たちは、地域のゴミステーションでのちょっとした掃除や、小学生の通学路での見守り、あるいは地域の防犯活動などを、結果的に無償で引き受けてくれていた。さらに、泣いている子をあやしたり、ほんのわずかな時間でも子どもを預かってくれたり、経験から出る実践的アドバイスを現役母にする「子守+知恵袋」という役割も担っていた。
しかし現在では「おせっかい」と嫌われることをおそれ、地域活動に力をいれずに、パートや習い事で余暇を過ごすようになっている。