慣例の通り、最高裁判事を最高裁や日弁連が実質的に選んだら、国民の意思が国民審査でしか反映しなくなる。これこそ民主主義の危機。

もし日弁連が死刑廃止論者を送り込んだら?

「最高裁人事、崩れた『慣例』 その意味するところは」と題する3月2日付の朝日新聞の記事は、安倍政権が最高裁判事の人事に口を出したことを問題視していた。そんなことをやったら司法が政権の顔色を窺うのではないか、司法の独立性を守れるのか、という問題提起だ。

安倍政権は裁判官出身枠の最高裁判事について、最高裁側に対して候補者は2人推薦するようにと指示を出した。それまでは最高裁が1人だけ候補者を推薦して、内閣がそれを追認する形だった。最高裁側が候補者を1人推薦する形だと最高裁が最高裁判事の人事をやっているに等しい。それを候補者を複数出させて最後の決定は内閣が行う形に改めた。また弁護士出身枠4人の最高裁判事は、日弁連が推薦した人材がそのまま内閣によって任命されていた。これだと日弁連が最高裁判事の人事をやっているに等しい。ところが安倍政権は日弁連が推薦した候補者と違う人材を最高裁判事に任命した。

ここを朝日新聞は問題視しているんだけど、でも最高裁判事を指名・任命するのは内閣であると日本国憲法に書いてあるんだよね。安倍政権は憲法に則って最高裁判事を任命しただけなんだよ。

確かに最高裁判事は選ばれるまでは、政治家に選ばれるような人材でなければならない。ここでは政治家に気を遣うだろう。でもいったん選ばれてしまえば、法と良心のみに従えばいい。選んでくれた内閣や大統領のことなんて無視すればいい。敵対してもいい。ここで効いてくるのが司法権の独立。最高裁判事はいったん選ばれると給料も減額されないし、解任もされない。とにかく選ばれるまでは内閣や大統領に気に入られなければならないだけ。選んでもらったらあとは自由。

このような形で国民の直接的な意思すなわち政治によるコントロールと司法権の独立のバランスを取っている。うまくできているよ。ところがこれまでの慣例の通り、最高裁判事を最高裁や日弁連が実質的に選んだらどうなるか。そこには国民の意思というものが国民審査でしか反映しなくなる。これこそ民主主義の危機。

朝日新聞は司法が政権の顔色を窺うんじゃないか、日弁連は安保法制に反対しているけど、これからは反対しづらくなるのではないか、などと心配していた。いやいやそんな心配よりも、最高裁が国民の意思から完全に離脱する危険性の方が怖いんだよ。

日弁連なんて単なる一職業団体に過ぎない。死刑制度については、こないだ死刑廃止の意見表明をやった。いったいそれは何の根拠で意見表明したんだ? 死刑制度を考えているごくわずかな弁護士で構成される委員会で、そして欠席者も多い中での採決で死刑廃止の意見表明を決定。

俺は弁護士だけどバリバリの死刑存置論者だよ!! そして今の日本の国民の意識では死刑存置が圧倒的多数。にもかかわらず、死刑廃止表明を行った日弁連が、勝手に死刑廃止論者の弁護士を最高裁判事に送り込んだらどうなる? これは最悪の事態だ。

具体的な裁判において政治が介入できないように司法制度ができているのは確かだ。そんな中、直接的な国民の意思を背負っている政治が司法に口出しできる唯一の機会が、最高裁判事の選任。ここで政治家が口を出さなければ、それこそ民主主義に反してしまうよ。

政治が人事をやるとすぐに「政治介入だ!」というけど、人事こそが権力行使。そして権力の正統性は国民にある。そうであれば憲法や法律に基づいて政治がしっかりと人事をやることこそが民主主義なんだ。

※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.46(3月14日配信)からの引用です。全文はメールマガジンで!!

(撮影=市来朋久)
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