人の足を引っ張る……。良識のある者のやることではないと大半の人は思うが、会社のため、組織のためという大義名分を主張しながら、いざとなると人の足を引っ張るのはなぜか? 『「課長」から始める 社内政治の教科書』著者の高城幸司さん、対人・社会心理学の第一人者、齊藤勇さんに、嫉妬とプライドや、理不尽な人事などに隠された“裏の心”について聞いてきた話を、5回にわたってお届けします。
「なぜアイツだけ出張にいかせるんですか?」
【齊藤】日本の企業では、時代が変わっても「出る杭」は打たれるという考え方がなかなか抜けない。理由としては「上司の不安」が大きい。上司といっても、全員が全員、仕事ができたり、マネジメントに長けたりしているわけではありません。そんな上司からすると、「出る杭」のような部下は自分にとって不安材料になる。機会があれば、左遷など外に飛ばした方が、自分自身にとっては居心地がよくなる。
だから左遷された人がかえって優秀で、その後もいい仕事をするという例は少なくありません。上司自身の気持ちの問題かもしれませんが、部下にはそれはわからない……。逆の立場で、自分が上司だとしたら部下をどう評価するか。その気持ちを常に持っているといいのですが、それがなかなか持つことができない。
【高城】自分が「出すぎる杭」だと思っている人も存在します。「できる人材を会社として抱えられないのは会社の度量が低いから」だと思い込んでいる人も少なくありません。その人間が本当に使える部下であれば、ある程度まで上司は守ってくれる。
「ある程度」とは、周りに迷惑をかけていないかどうかが判断基準。出過ぎる人は仕事ができるので、権限や予算を与えられる。私の部下でも、沖縄に行って大きな仕事をとってきたのがいましたが、出張にどんどん行かせたりすると、なんでアイツだけ出張に行かせるんですかとどうしても目立ってしまう。
結局、「出る杭」は、近くにいる人が打ち始め、上司が守り切れなくなる。「出る杭」のように周りから叩かれてしまう人とは、自分が出過ぎていて周りに迷惑をかけていることを気づかない人です。大事なことは、自分は出過ぎる杭なので、周りに対してどれだけの影響を与えているかを考えられるかどうか。その配慮があれば、意外と「出る杭」のような人でも叩かれずに生き残ることができる。それなりに残る可能性が高い。
でも、得てしてスタンドプレーになりがち。たとえば取材を受けて、みんなでやった仕事なのに、「私がこの事業を立ち上げました」と言ってしまうと、周りから見たら気分悪いわけですよ。周りの人に対して配慮できないことに問題があるんです。