人の足を引っ張る……。良識のある者のやることではないと大半の人は思うが、会社のため、組織のためという大義名分を主張しながら、いざとなると人の足を引っ張るのはなぜか? 『「課長」から始める 社内政治の教科書』著者の高城幸司さん、対人・社会心理学の第一人者、齊藤勇さんに、嫉妬とプライドや、理不尽な人事などに隠された“裏の心”について聞いてきた話を、5回にわたってお届けします。
「社内の派閥=悪」ではない
【齊藤】「三人集まれば派閥ができる」と昔から言われているように、人はかならず集団を作ります。会社という組織は基本的に個人ではなく、協力することによってより大きな仕事をするもの。でもそこには、好き・嫌いの感情があるので、派閥を作らないなんてことはできない。だから派閥=悪ではありません。
人が協力し合うときに一番簡単な方法は、誰か一人を悪者にすることです。人の悪口が手っ取り早く協力を得る一番の方法になります。「派閥なんて古い考えで、みんなそれぞれの力を発揮すればいい」というのはちょっと無理があります。
【高城】人はどのようなときに手を握り、どのようなときに争うのか。たとえば政治家でも、政党内にも争いごとはある。派閥同士であったり、派閥の中の争いであったり……。
【齊藤】実は一人でいることは意外と大変で、派閥を形成しているわけでもなく、その中でも人間関係は複雑になる。どんな組織でも、非常に難しい。
【高城】ラグビーでいう「ノーサイド」の考え方ですが、試合中、試合後でも違うと思います。たとえばビジネスの世界では会議や議論でも同様ですが、派閥があっても全会一致にはなかなかならない。ある考え方において集団を形成するのと、お互いが互助会のように助け合うのとで、ニュアンスが違う。
大事なことは、議論は派閥を超えてするべきで、普段は互助会のように助け合えばいいと思います。主義主張においてすべて一緒ということはあり得ません。気のあうものが仲間意識を持って一つの派閥を作るのはいいけれど、いざその派閥の中で全部の物事の価値観が一緒ということにはならない。
【齊藤】幻想でしかないのです。「優秀でも孤立する人にならない」、これはとても難しいテーマです。優秀で孤立する人は、孤立していることに気がつかない。だからそういう意味では、実は優秀ではないんです。自分は仕事ができるのに、なぜ周りは評価しないのかという考え方になると、自動的にそれは孤立してしまうことになるわけです。