「一流とは何か」を肌で感じたMIT留学時代

高校生の2人に1人が4年制大学に進学し、大学全入時代といわれる今日、大学に行く意味とは何だろうか。

今は大学で学んだことで一生食っていける時代ではない。マサチューセッツ工科大学(MIT)に興味深い統計がある。エンジニア系の学校だから、大部分は自分の専門分野に就職するのだが、5年後に同じ分野にとどまっている人は2割ほどしかいないのだ。私自身、原発技術者として新卒で入った日立を2年で退社、まったく畑違いのマッキンゼーに転職している。

MITのような最先端の専門教育をしている大学でも、卒業5年後には5分の1しかその専門分野に残らないのだ。にもかかわらず最高の授業料を取るのは、それだけの理由がある。MITに行って一番驚いたのは、一流のレベルというものが「見える化」していることだった。ノーベル賞をもらった教授だけで十数人いて、「世界最高峰の大学にはこんな先生がいるのか」としばしば感心させられた。

クラスメートにものけ反った。アメリカ人のフレデリクソンは週末の金曜土曜はいつも女の子を連れて遊び回り、勉強している姿など一度も見たことがない。しかし試験となるとほとんど満点で成績抜群。先生からも一目置かれていたから、彼に対する先生の言葉遣いが違っていた。スイスからやってきたハンス・ヴィドマーはアインシュタインの母校、チューリッヒ工科大学の出身。「なぜ1時間で答えを出さなければいけないのか」と原理原則から問題を解き始めるタイプだから、成績は悪い。だが、マクスウェルの電磁方程式からベクトル演算で答えを導き出すなんて難題をいとも簡単にやってのける。アインシュタインの再来かとクラスの尊敬を集めていた。

超人的なクラスメートの立ち居振る舞い。そんな連中や先生が相互作用しているときのハイレベルなやり取り。学生の本当の力を引き出す先生の指導の仕方――。「一流」とはどういうものか。「できる」とはどういうことなのか、肌で感じる機会が多かった。自分が目指すべきステージが「見える化」しているから、努力を振り向けやすい。

最先端の原子力工学を求めてMITに行ったわけだが、そこで徹底的に学んだロジックと思考法、難しい試験や議論、難儀な実験を乗り越えた経験こそが一生ものになったと思う。どんな問題を与えられても答えが出るまで筋道を立てて自分の頭で考える。MITで仕込まれたオリジナル発想重視の姿勢と論理思考は、コンサルティングの世界でも大いに役立った。