ただそれでも昨今の事態を新しい何かと捉える向きもある。これは、おそらくSNSの普及が影響しているだろう。「2ちゃんねる」などに留まっていたものが目の前で展開されるようになったため、これまでとは違う何かが進展しているような錯覚を覚えるのである。

このように述べると「朝日叩きは大したことがなく、気にするべきでない」と筆者が言いたいのではと感じる人もいるかもしれないが、逆である。むしろ、朝日新聞社だけでなく、今回の事態を大いに気にし、今後を考える材料にしたほうがよい。

現在、新聞のような伝統的なメディアも徐々にネットでの購読に移行しつつある。デジタル版の新聞の購入を考えている人の選択に、ネットでの評判が一定の影響を与えると考えるのは自然である。それがネットで声の大きい一部の人々によって作られたものであっても、新聞記者と同様、これを「世論」と錯覚する人は多い。ネットでは発信されない意見は存在しないのと同じである。

「2ちゃんねる」の書き込みやヤフーニュースに付くコメントで新聞社の収支が決まると言えば大げさかもしれない。しかし、現在のネットでは、有象無象に見えるこうした「声」以外に媒体の評価を形成し提示する機能が十分でないということを、関係者は重く捉えるべきである。特に、他と比較しての自らの価値を、各紙とも十分に訴えることができていないことは深刻である。

たとえば各紙のテレビCMを見ると、新聞を読んで自分が変わったというように、イメージを売るものが多数である。イメージを売ること自体はCMのひとつの目的ではあるが、ほとんどの場合、他紙との差別化には成功していない。朝日新聞は、お爺さんが死んだので同紙の購読を止めたけど、寂しいのでお婆さんがまた同紙を取り始めたといった内容のCMを流していたが、新聞が習慣の囲い込みで売られているものだということを端的に示している。

だが、人が配達しないネットでは、他紙への乗り換えも、解約も、今よりカジュアルに行われる。お婆さんが産経新聞を取り始めても何ら不思議ではない世界である。