価値を再認識させた記者たちの「反乱」

ネットで購読紙を選択する時代には、現実世界での営業力は大きな意味を持たなくなる。この点、一部の新聞が「朝日叩き」に加わったことは、他紙のネット上での評判をコントロールしようとしているということを意味し、理/利に適った行動と言えるかもしれない。

ただ、他者を下げれば自分が浮上すると想定しているなら、それは甘い。他紙の失点を互いに強調し、揚げ足を取りあう競争を続けるのなら、新聞というメディア全体の信用が低下するのは必定である。

この状況では、多少の叩き合いでは失われない読者からの信頼や支持を新聞各紙は獲得する必要がある。つまり、自分たちが他紙とどう違うのか、どのような価値を提供できるのかを人々に示すことで、単なる習慣以上のブランド・ロイヤルティを醸成していかなければならないのである。ちなみにこれは、現在の野党の課題と同じである。

そしてこの点で新聞はジレンマを抱えている。新聞の価値は言うまでもなくまずその記事に宿る。ところが、ネットではその売り物をフルオープンにできない。この状況で価値をどのように訴求するかは、各紙とも悩みどころである。

今回の朝日新聞の例は、この点でもヒントになる。池上彰氏は同紙の従軍慰安婦報道検証記事を批判したコラムを書いたが、朝日新聞上層部はこれを非掲載とした。すると、週刊誌の報道でこれを知った同紙の記者たちが、公然とこれに異を唱えた(※2)。記者らは、自紙は批判にも寛容(リベラル)であると信じ、誇りに思っていたため声を上げたのである。この結果、コラムは逆転で掲載されることになった。

ツイッターで反応を観察した限り、記者のツイッター利用を認めず批判も載らない他紙を引き合いに出すなど、記者らの「反乱」を評価する声は多かった。上層部の非寛容でダサい対応が、皮肉にも同紙の価値を再認識させるきっかけとなったわけである。

ネット時代に、このように記者が自紙の価値を体現していくことは重要である。同時に「叩き」への最善の対抗策にもなるだろう。やはり、ネットでは発信しないことは存在しないことと同じだからである。

※1:同様に、『諸君!』では「病める巨象・朝日新聞私史」が82年に連載され、月刊ウィルでは「今月の朝日新聞」が07年から11年にかけて連載されており、朝日新聞に関係する記事がほぼ毎号掲載されていた。
※2:記者らの反応は、次のページにまとめられている。http://togetter.com/li/714702(2014年9月19日アクセス)。なお、朝日新聞社は記者らにツイッターアカウントを持ち、積極的に情報発信し、読者らと交流を持つことを公式に推奨している。http://www.asahi.com/twitter/(2014年9月19日アクセス)

※冒頭グラフ「『朝日』関係記事の年別掲載率推移」の数字は、各年に発行された雑誌各号のうち、朝日新聞等に関係する記事が掲載された号の割合を示している。記事は、国立国会図書館の雑誌記事索引に掲載されている記事名もしくは特集名に「朝日」が含まれているものを集計している。年は発売時ではなく発行年月日を基準としている。朝日新聞、テレビ朝日、週刊朝日などに無関係の企業名、一般名詞としての朝日であることが明らかな場合は除外した。「こんな朝日に誰がした」(『諸君!』83年7月号)のような例は朝日新聞関係記事と判断はつかないが、すべて含めている。正論、文春、新潮は96年6月から、月刊ウィルは05年1月号からのデータが収録されている。『諸君!』は77年1月から休刊となった09年6月までのデータが収録されている。14年のデータに関しては、文春、新潮は8月発売分まで、正論とウィルは9月号まで含まれている。なお、週刊ポスト等の他誌はこの割合が低かったためここでは割愛した。

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