地上波と配信では求められる作品が違う
近年、「テレビか配信か」という議論が繰り返されている。しかし私は、その問い自体に違和感を抱く。問題は媒体ではない。顧客である。
私がドラマを作っていた頃、最も強く意識していたのは「日曜夜9時に誰がテレビの前にいるのか」だった。家族で夕食を終えた人たち。翌日の仕事や学校を控えた人たち。だから演出も物語も、その時間帯を限定した前提で組み立てられる。
ところが今はどうか。同じ作品が深夜にスマートフォンで見られる。倍速で見られる。休日にまとめて見られる。つまり顧客そのものが変わってしまったのである。
地上波と配信の顧客は同じではない。地上波は偶然性を含むメディアであり、家族視聴も多い。一方、配信は視聴者が意識的に作品を選ぶ世界である。本来であれば商品も違うはずだ。
ところが現在の日本のドラマは、その両方を同時に満足させようとしている。
地上波にも通用しなければならない。配信も回さなければならない。SNSでも話題にならなければならない。現在のクリエイターたちが抱える最大の苦悩は、異なる顧客に対して一つの商品を作らなければならないことだ。
それに比べて、韓国のNetflix作品は比較的シンプルである。顧客の中心は世界中の配信視聴者。この違いが数字に表れているのだ。
「過激な拷問シーン」が示したジレンマ
こうした矛盾は、当然作品の中身にも表れる。
世界市場向けの配信ドラマでは、より強い暴力描写やサスペンス性が求められる場合が少なくない。一方で日本の地上波ドラマには公共性が求められる。放送法や電波法などの法律だけでなく各局が定める放送基準やガイドラインによる自主規制も存在する。
「VIVANT」第2シーズンの過激な拷問シーンは、その矛盾を考えるうえで象徴的な出来事だった。SNSでは「地上波ドラマとしては行き過ぎではないか」という批判も起きた。配信では受け入れられる表現でも、家族視聴を前提とする地上波では異なる評価を受けることがある。両方の視聴者を満足させる難しさが、ここにも表れている。
この「放送ガイドライン」の「視聴者への配慮」に関しては、私にも似た経験がある。ドラマ「破獄」を制作した際、脱獄囚の足にウジが湧くシーンがあった。リアリティを優先して本物のウジを使って撮影したところ、局内から「視聴者に見せるべきではないのではないか」という声が上がった。
当時の私は必要な表現だと考え放送したが、今なら難しかっただろう。地上波ドラマを取り巻く環境は、この10年で大きく変わった。
だが、そんな地上波ドラマにおけるコンプライアンス強化の風潮と逆行しているのが、配信の世界だ。ランキングで上位を獲得するためには、刺激的かつ煽情的な描写と目を引く設定や先の読めない奇抜な展開で視聴者の目を釘付けにすることを求められる。そうでなければ、視聴者の評価を得られない。したがって、制作者は常に「埋もれない刺激」を求められる。
