「卑怯者になります」小栗の進言は逆効果
しかし15日、小栗忠順が慶喜に対し、壮大な作戦を提案すると、逆に空気は「不戦」に傾きました。
小栗が提案したのは、新政府軍を迎え撃つための緻密な陸海軍共同作戦でした。幕府陸軍が箱根関で新政府軍を迎撃。
同地に罠を仕込み、新政府軍の進軍を止めたあと、海から幕府海軍が艦砲射撃を加えて撃滅。さらに軍艦を兵庫に移動させ、新政府軍を叩くという実に大掛かりな作戦でした。
この頃、まだ心の中では「新政府に物申す! 朝敵認定に抗議する!」だったはずの慶喜ですが、小栗の提案が気宇壮大すぎて怖くなったのでしょうか。慶喜は会議が行なわれていた広間を去ろうとさえしたのです。
「逃げ癖」発動の慶喜に小栗が「ここで決断なさらなければ、卑怯者になります!」と浴びせた言葉は、この時の空気をリアルに伝えています。去ろうとする慶喜の袴に小栗が取りすがったという話もありますが、すべては逆効果でした。
小栗に「卑怯者」と浴びせられた徳川慶喜(1867年)(写真=Frederick Sutton/松戸市戸定歴史館『将軍のフォトグラフィー 写真にみる徳川慶喜・昭武兄弟』/PD-old-100-expired/Wikimedia Commons)
「幕府は潰れても日本は続く」一徹者の悲劇
小栗の言動は、プライドが高い慶喜を発奮させるどころか「旗本風情が生意気な!」と激怒させてしまったのでした。
こうして15日、小栗は江戸城に呼び出され、「歩兵奉行職」つまり幕府陸軍の要職を解任されました。
しかし、小栗の代表的な肩書である「勘定奉行」については留任だったことは注目に値します。慶喜は小栗の経済の才を必要としていたわけですね。
政治家としての小栗は強硬派ですが、「幕府は潰れても日本は続く」という思想も併せ持ち、未来を見据えて数々のインフラ整備を急いできました。横須賀製鉄所(造船所)建設はその代表例です。
しかし、肝心の眼前の「主君・慶喜」という不確定要素だらけの「怪物」には対応できなかったのが、一徹者すぎた「勘定奉行」小栗最大の悲劇でした。
