坂本龍馬を暗殺した犯人は誰か。歴史エッセイストの堀江宏樹さんは「龍馬の額の深い傷跡は今井信郎がもっとも得意にしていた打刀あってこそ可能であり、対面で座っている坂本に切りかかったのは今井で間違いないと思われる。しかし、『やあ坂本さんしばらく』といったり、龍馬の息の根を止めた一撃を食らわせたのは別人の可能性が強い」という――。

※本稿は、堀江宏樹『幕末維新 不適切にもほどがある話』(三笠書房)の一部を再編集したものです。

桂浜公園の坂本龍馬銅像
写真=iStock.com/todamo
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龍馬を暗殺したアピールが最も強かった男

慶応3年(1867年)11月15日、「志士」の美名のもと、数々の陰謀の当事者だった坂本龍馬が暗殺されました。

「坂本龍馬を殺した男」は自称も含めると相当数いますが、その中で「私が真犯人だ」というアピールがもっとも強かったのが、幕府による治安維持部隊である京都見廻組に所属していた今井信郎いまいのぶおです。

江戸で旗本の家系に生まれた今井の戦歴は華麗です。「鳥羽伏見の戦い」に始まる「戊辰戦争」で新政府軍相手に戦い、その後は旧幕軍の生き残りとともに北上。

最後は蝦夷地(現在の北海道)へ渡り、明治2年(1869年)5月、土方歳三らと参戦した「箱館戦争」を最後に新政府軍に降伏し、捕縛されています。そして江戸・小伝馬町こでんまちょうの獄に送られて取り調べを受けました。

この時、別の者の証言をもとに龍馬殺害の容疑をかけられた今井ですが、「たしかに龍馬と中岡慎太郎が潜伏中の近江屋には赴いたが、私は見張り番で、佐々木只三郎ささきたださぶろうや桂早之助かつらはやのすけたちの実行部隊にはいなかった(要旨)」と詳細を語ったので、旧幕軍として参戦した罪だけが問われ、わずか3年で恩赦を得て出獄ができたのでした。