「誰だったっけ」と思った龍馬の一瞬の空隙
清河の目付――監視役として幕府が随行させていたのが佐々木只三郎でした。いわば清河の側衛のように振る舞っていた男ですから、ある時期、清河と親しかった龍馬も彼の顔はもちろん知っているし、声もなんとなくは覚えていたはず。
しかも顔がよく見えない程度の明るさで、佐々木に語りかけられたのですから「誰だったっけ」と思った龍馬の意識に生まれた一瞬の空隙に今井は長い刀身を振るって切り込み、驚いて立ち上がろうとした中岡をも斬り倒した――そんな血みどろの一場面が想像されるのです。
実は人間の脳は胸や頸動脈とは異なり、瞬時に絶命させうる急所ではありません。致命傷を得た後も龍馬はしばらく生きていたのですが、今井に続いて佐々木、そして桂早之助などが次々と瀕死の龍馬に二の太刀、三の太刀を打ち込み、完全に息の根を止めていった姿が想像されます。
幕府による治安維持部隊である京都見廻組の面々にとって、朝敵だった長州藩に武器の横流しを行ない、紀州藩にたかって巨額の賠償金をせしめていた坂本龍馬はそれほど憎い仇敵でした。
武士の恥「なぶり殺し」を隠したかった真犯人
しかし、それでもなぜ今井は自分一人ですべてを行なったかのように発言したのでしょうか? そこには今井の鬱屈があったはずです。
60代の今井が雑誌「近畿評論」からインタビューを受けた時、他の実行犯たち――つまり佐々木や近年、真の主犯説が出ている桂早之助などの京都見廻組のメンバーの多くは「鳥羽伏見の戦い」もしくは「箱館戦争」ですでに戦死していました。
仲間たちに死に遅れ、職を転々として何者にもなれないまま老いたのが当時の今井です。そんな今井だからこそ、雑誌「近畿評論」からのインタビューは「坂本龍馬を殺した男」として歴史に名を刻みうる最後のチャンスなのです。
今井は得意の話術を活かし、時効を迎えていた凄惨な暗殺劇について、自分一人が大活躍したストーリーを即興で組み立て、それが隠されていた真実だと主張したのでしょう。
今井の発言が二転三転していると指摘されるのは、彼が武士としての「恥」を感じていたからという側面も考えずにはいられません。彼は至近距離から龍馬を瞬殺できる場所にいながら、わざわざ犠牲者が即死しない額を狙って斬りつけました。
それで哀れな龍馬の動きを完全に止めた上で、仲間たちとともに彼の全身34カ所におよぶ傷を与える「なぶり殺し」を行なったのです。
龍馬への憎悪があったにせよ、犠牲者に余計な苦しみを与える殺しや無抵抗の者への一方的な暴力、そしてそれらを楽しんで行なうことは、武士としては最悪の所業でした。
自分たちの過去を恥じる気持ちが、のちの今井には生まれていた……それが彼の発言に一貫性がない原因だったと筆者は読みます。
当日、風邪気味だったという龍馬は使いの者に、故郷の味である軍鶏鍋の具材を買いにやらせていました。しかし、その代わりに届いたのが暗殺の刃だったのです。
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