変化の兆し

そんなやりとりを続け、4カ月がすぎるころになると阿川さんに変化が見え始めた。

「飲酒日記」をつけてくれるようになったのだ。相変わらず100gを超える日ばかりだが、正直に現状を報告してくれる関係づくりが大事だ。単発で日雇いの仕事をした日には「80g」と記載されているのを見て、私は嬉しくなった。

7カ月後の診察では、いつもは私が促してから話し始める阿川さんが自ら切り出した。

「久しぶりに娘に会ったんですよ。もう9歳でデカくなってましたね。子どもの成長は早いっすね。酒やめれたら、また家族とすごせますかね」

阿川さんは離婚した妻と娘への思いを語った。こんなにも赤裸々にプライベートを話してくれる(※8)のは初めてだった。酒によって家庭を壊してしまったことへの後悔が言葉の端々ににじんでいた。

茶碗と箸を持って食事をする子ども
写真=iStock.com/Hakase_
※写真はイメージです

※8 プライベートを話してくれる
患者が自分から弱音を吐ける関係を作ることは依存症の治療で大事な土台になる。アルコール依存症は「やめて終わり」ではなく、「やめ続けなくてはならない」病気であり、その治療は長期戦だ。その間に再飲酒しても、素直に報告してくれるような関係が理想だ。

生きる希望は家族と仕事

阿川さんの心の扉が開きつつある。本格的に酒の量を減らしていけるという希望を持ち始めた矢先、事態は暗転する。9カ月後の診察時、入ってくるなり、明らかに表情が暗いのがわかった。

「元嫁、新しい男ができて再婚するみたいですわ。『その人を父親として家庭を作るから娘にはもう会わないでほしい』って言われて。もう生きている意味ないっすね」

前妻の再婚話は、断崖絶壁で踏みとどまっていた彼の心を容赦なく谷底へと叩き落とした。それでも「飲酒日記」はしっかりと記録し、持参してくれた。確認すると酒の量は一気に増え、1日200gを超えた。9カ月かけて徐々に前進していたものが元の木阿弥だ。しかも阿川さんはうつ状態になっており、さすがにまずいと感じた私は入院を勧めたものの、阿川さんは頑なに拒んだ。どうすることもできない自分が歯がゆい。

もしかすると通院をやめる可能性があると心配していたが、10カ月後の予約日時にも病院を訪れてくれた。顔つきも少しだけ柔らかい。

「仕事再開したんですよ。まずは週3から。先輩が職場を紹介してくれた現場なんすけど、流石にちゃんとやらないと顔潰しちゃうなって思って。今は夜しか飲んでないです。朝、酒が残っていると仕事がキツくなるんで」

一度どん底まで落ちればもう上がるだけだ。仕事に復帰したことで少しずつ生活に変化が表れ始めた。

初めての受診から1年がすぎ、診察は12回を数えた。「飲酒日記」をチェックすると、飲酒量は日に60~80g程度まで減っている。会話にもお互いを知る者同士の呼吸が生まれる。

「なんとか週5で働いてます。酒は飲むけど、フラフラになるほどは飲まないっすね」

「すごいですよ。半年前から顔つき変わりましたね。目ヂカラありますよ」

「そうすっか? 今の職場、気のいいやつらが多いんですよ。仕事帰りには疲れるけど、嫌な疲れじゃないっすね」

この調子ならこのまま順調に社会復帰につなげられる。私はそう感じていた。

14カ月後、診察室に入ってきたのは阿川さんの母親ひとり(※9)だった。

※9 母親ひとり
阿川さんのお母さんからは息子の状況を打開したいという強い気持ちが伝わってきた。患者の回復を左右する要因に親の存在がある。日常を支える細やかな関わりや情緒的な支援が、治療の土台となることは少なくない。