ソ連崩壊を早めた炭鉱員たちのストライキ

1989年の夏、クズバスの炭鉱労働者たちが一斉に立ち上がった。7月11日になると、炭鉱町メジドゥレチェンスクでストが始まる。数日後には、州内のすべての炭鉱で操業が止まった。ストは当時のソ連各地の炭田へ飛び火し、504カ所あった炭鉱の実に3分の2が加勢することになる。

当時、プロコピエフスクの炭鉱で採炭現場の職長だったアレクサンドル・バタノフ氏は、ストが町に及んだ日、第1交代の勤務だった。炭鉱に着くと、誰も働いていない。ストライキだ。怖さはなかった。自分たちにも何かを勝ち取れる。そんな高揚感さえあったという。

治安当局も、手荒なまねはしなかった。脅されることも、腕をねじ上げられることも、夜中に連行されることもなかった。米議会が出資するロシア語メディアのカレント・タイムが伝えた証言で、バタノフ氏はそう振り返っている。

1989年7月11日、数千人のクズバス炭鉱労働者がストライキを決行し、集会を開いた。彼らは政府に対し、約20項目にわたる要求の実現を求めた。
写真提供=Sputnik/共同通信イメージズ
1989年7月11日、数千人のクズバス炭鉱労働者がストライキを決行し、集会を開いた。彼らは政府に対し、約20項目にわたる要求の実現を求めた。

ストが始まってわずか11日後、ソ連共産党のミハイル・ゴルバチョフ書記長は折れた。賃金の倍増を認めたのだ。炭鉱労働者たちの抗議は後に、チェルノブイリ原発事故やアフガン戦争と並び、ソ連崩壊を加速した一因に数えられることになる。

欧州に締め出され、アジアには運びきれない

炭鉱労働者たちがソ連の体制を揺るがしてから30年あまり。プーチン氏自身が始めたウクライナ侵攻によって、クズバスの石炭は欧州市場から締め出された。その痛手は当初こそ、価格高騰の陰に隠れて表面化しなかった。

独立系の社会学者アレクセイ・グセフ氏は、米国際問題シンクタンクのカーネギー国際平和基金に寄稿した論考でこう分析する。ロシアが輸出する石炭の最大5割を買っていた欧州は、2022年、その輸入禁止に踏み切った。ところがこの年、石炭の国際価格は1トンあたり400ドル(約6万3000円)まで跳ね上がる。輸出企業が上げた利益は、最大で実に220億ドル(約3兆5000億円)に上った。

だが、その後に価格が下がると、輸送面の弱みが一気に表面化する。アジアに売ろうにも、鉄道で運びきれない。極東の港までの運賃は、最大で1トンあたり70ドル(約1万1000円)かかる。港に近いサハ共和国の石炭と比べ、港から遠いクズバスの石炭は、価格競争でどうしても不利だ。

2021〜24年、ロシア全土の地域総生産(地域ごとのGDP)の合計は13.7%伸びている。ところが、クズバスは0.5%のマイナスに沈んだ。グセフ氏は、国全体が戦時景気に沸くさなかでも経済が縮小した地域は、ほかにほとんど例がないと指摘する。