本人は幸せな「障害のパラドックス」
さて、(1)の理由は身近な関係という観点からのものだったし、(2)は社会的な観点からのものでした。となれば、(3)もう1つ、個人の観点からの理由が考えられるはず。しかし、この場合個人って? そう、当事者本人です。
選択をすることになるのは親でしょう。だけど、それは障害を持って生まれてくる子どもをどう育てるかという意味での当事者であって、いわば本当の当事者は、障害を持って生まれてくる子ども自身です。やはり障害を持って生きていくということになれば、本人も苦労はするでしょう。
しかし、さっき親や家族に即して考えたように、本人の受け止め方によってかなり違いがありそうで、一概には言えないけど、周囲から見ているのとは違って、実は障害を持つ本人の幸福度はかなり高いらしいのです(いわゆる「障害のパラドックス」)。
ただしこれは、はっきり言って、障害の種類によります。障害によっては生きるのに苦労する程度ではなくて(それだけでも大変だけど)、本人が耐えがたい苦痛を味わうという場合だってあります。
親の都合を子に押し付ける危険
そうなったら、それは本人にとってはよくない。そう考えれば、本人のために産まないという選択がありうる、ということになります。
ただ、障害を持って生まれるのは子どもだけど、そういう子どもを産むかどうかを決めるのは親。ここでズレが生じる可能性があります。
特に、「障害を持って生きるのはつらいに違いない」と、親が主観的に判断してしまうこともあれば、「社会に迷惑をかけてはならない」といった歪んだ考えを植えつけられているということもあるし、自分の都合を子どもに押しつけるということも考えられるからです。
そういう意味でたしかに難しい判断になります。
※1 アンドリュー・ソロモン『「ちがい」がある子とその親の物語』全3巻、海と月社、2020-22年……ダウン症、重度障害、TS、ろうその他、何らかの困難を持って生まれてきた子どもと親の姿を、全3巻にわたって詳細に語ったもので、考えさせられるところが多い本です。
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