障害者は社会の負担になるのか
さて、障害があることが分かっても出産することに反対する、もう1つよく出てくる意見があります。
(2)「社会にとって負担が大きくなるんじゃないか」論です。実際、「自分には関係のないところに自分の払った税金が使われるのは許せん」と思う人もいるらしい。だけど、これは文字通り心が狭いだけではなくて、頭が悪いとしか言いようがありません。
「自分に関係のないところに税金を使うな」と言う場合の「自分に関係のないところ」というのは、実は、「今のところは自分に直接関わらないように見えるところ」というにすぎないからです。
今は自分は元気でバリバリ働けて、という状態だったらそれはよかったねっていうことになりますが、それはたまたま現状がそうであるだけで、いつ病気になるか怪我をするか障害を負うかなんて、誰にも分かりません。
そう、ぼくらはみんな患者になる、のです。もしそうしたところに社会的な支援をしなかったら、結局は回り回って自分も困ることになる可能性があるわけです。
すべての人にとって地獄のような社会
それに、「社会にとって迷惑になるから」という理由で障害を持つ子の中絶を進めると、結果的に、社会のなかで障害に対する差別を助長することになります。
「社会にとって迷惑になるから産んではならない」が、「社会にとって迷惑になる者は存在してはならない」になる可能性が大きいからです。
そして、障害者であれなんであれ、差別を許容する社会では、どんな人も何らかの特性によって差別される可能性が大きくなります。
我々は一人ひとりさまざまな特性や個性を持っています。そうである以上、誰一人として差別の対象にならない人はいない。差別を許容するような社会は、簡単に言えば、すべての人にとって地獄以外のなにものでもないのです。
優生保護法を廃止した日本人の反省
母体保護法は以前には優生保護法という名前でした。優生保護法の頃には障害がある場合の中絶を、しかも本人の承諾がない強制的な手術を認めていました。
我々はこれが人道に反すると考えて反省し、これを廃止して改めて母体保護法を作ったのです。それでも、なかなか差別はなくなりません。
「障害のある子どもを産むと社会に迷惑をかけることになるから、産んではならない」という、歪んだ圧力もまだまだ根強い。
しかし、個人にとって大きな負担になるものも、社会全体でそれをまかなうということにすれば、負担を軽くすることができます。社会というのはそのためにあるものです。
だから、「社会にとって迷惑、マイナスになるから」という理由は、文字通り本末転倒と言うしかありません。

