中絶をするにはそれ相応の理由がいる
だったら本人が決めればよい、ということになりそうです。特にこの場合、産むにせよ産まないにせよ、女性の負担が大きいことを考えると、自律による選択が大事になります。
だけどその場合も、完全に「自由にしてよい」とはならないでしょう。さっきも見たように、胎児はまだ完全に人格を持った人間と言えるかどうか分からないけど、それでも十分に尊重されるべき存在です。
だとすれば、中絶してそうした存在を殺すという以上は、ちゃんと理由がなければなりません。
「障害者の家族は大変だ」という偏見
講義でその理由を考えてもらうとよく挙がってくるのは、例えば障害を持った子が生まれてくることで、(1)親や家族の負担が大きくなってしまうという理由です。
なるほど、というか、まあ分かるというか、たしかにここで「どうしても産め」と強制するのは難しいだろうと思います。
親や家族に負担を押しつけることはできない。だから、選択の余地は残しておくべきでしょう。ただ注意すべきなのは、だからといって「中絶すべき」とはならない、ということです。
これらの理由については慎重に考える必要があります。もちろん親や家族にとって大変さはやはりあります(→参考文献:アンドリュー・ソロモン※1)。ただ、これは受け止め方によってかなりばらつきがあるというのが実情のようです。
非常に苦労する親御さんもあれば、むしろ一般以上に幸福であるという場合もあるようです。
外から見ているだけでは分からないような苦労もあれば、逆に、外から見ているだけでは分からないような幸せもあるらしく、当事者でない視点からの決めつけはかなり偏見に近い場合があると。
悲観的になって中絶を選ぶ親が多い
もちろん、これは親や家族がどんな状況かによってかなり異なるのは事実です。例えば経済的にも苦しい生活をしている状態であれば、障害を持つ子どもを育てるということになると、なるほどより負担を重くするという可能性は否定できません。
それはその通り。だけど、これも「中絶すべき」ということにはなりません。いずれにせよ、人によって違うとしか言いようがないので、本人たちの自律、自己決定の範疇となります。
しかし、1つ言えることがあります。言うまでもなく障害には程度差があって、非常に軽度な場合も多いということです。
そういう意味で言えば、我々のすべてが何らかの異常や障害、偏りを持って生まれてきます(私も先天的な異常を持っています)。それでも我々は十分に生きることができているのではないでしょうか。
しかし、「胎児に障害が見つかった」となると、その実際についての理解がないまま悲観一方になって、中絶の道を選んでしまう親御さんがかなりいます。なかなか気づきにくいですが、これはそれ自体、かなり偏った判断だということは承知しておいた方がいいでしょう。

