夫がいる身で妻子ある男と同衾
これはいつのことなのか。心中事件からかなり年月が経ってのことなのか。千代はここに時期を明記していないが、引用文の直前には〈頸動脈を登山ナイフで切った。それでもなお、平気で、首に繃帯をまいたまま、街に出かけたりする、一種、人もなげな行動は、このときの私には、何か共感を呼ぶものでもあったのか〉とある。
東郷が〈首に繃帯をまいたまま、街に出かけ〉るのを千代は見ているので、心中事件から時間がさほど経っていないと考えるのが自然だろう。刑部芳則氏はこう記す。
〈千代の回想では、東郷が首の傷口を隠すために布を巻いていたこと、東郷の家で血糊のついた蒲団を使っていたこと、部屋に心中事件の新聞記事が積んであったことからすると、「一月後」の昭和四年四月末と考えるのが自然である(尾形明子『宇野千代』も筆者と同じ見解を示している)〉(前掲書)
そうであるなら、このとき千代はまだ、作家の尾崎士郎と離婚していなかった(尾崎とは翌昭和5年に離婚が成立する)。2番目の夫の藤村忠と婚姻中に同棲をはじめ、追って3番目の夫になった尾崎。千代はその尾崎と別居状態のまま、心中事件を起こしたばかりの東郷と出会い、二人の男女の血糊が〈がりがりになっていた〉というにはまだ生々しい布団で、初めて関係を持ったことになる。
宇野千代という女性の底知れぬ強さ
千代はここから昭和8年(1933)か9年まで東郷青児と付き合った。なにしろ、その晩から一緒に暮らすことになったのである。ところで、千代が東郷を訪ねた目的は、そもそもは取材だった。『罌粟はなぜ紅い』という連載小説で、男女がガスによる情死を図る場面を書くのに、体験者の話を聴きたいと考えたのだった。
東郷に電話をすると、さすがに電話で話せる内容ではないということで、千代は酒場に呼ばれ、その後、誘われて世田谷の東郷の家に行き、前述の場面になったという。初めて会ったその日なのである。
しかも、千代は血糊がついた布団を〈気味が悪い〉とは〈思わなかった〉。しかも、心中事件を起こした東郷が、〈何か共感を呼ぶものでもあった〉ことさえ仄めかしている。宇野千代はどんな逆境に見舞われても、人生を前向きに楽しむ姿勢を貫き、それが多くの人の共感を呼んだ。心中事件を起こしながら、それを乗り越えて生きている人に対して、気味が悪いと思うどころか、むしろ共感したということだろうか。
さすがに血糊のついた布団は、朝ドラには出せないと思うが、それをごく自然に受け入れたところに、宇野千代という女性の底知れぬ強さが感じられる。
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