布団の上で始まる深い関係
玉田との一夜について、千代は自伝『生きて行く私』(毎日新聞出版)に次のように書いている。佐伯(玉田のこと)の家を訪ねたときのことで、雨が止まなかったという。
〈「お泊りんされ」と低い声で、しかも命令するように言ったと思うと、佐伯はいきなり押入れをあけて蒲団を出し、そこに敷いたのであった。男はランプの灯を消した。そして、一言もものを言わずに、するりと私の横に寝た。それは、私にとって、始めての経験ではなかった。あの、別の男と寝たときと同じように、佐伯の体を押しのけた。しかし、それは、男にもっと強く抱擁することを催促する結果にしかならなかった〉
千代は良くも悪くも、その後もこうして布団の上で、知り合って間もない男性との関係を、深めていくことが多かった。そのなかでも極めてインパクトが強いのが、画家の東郷青児(1897~1978)との逸話である。
東郷青児といえば、やわらかい曲線と穏やかな色調による甘美な女性像で知られ、戦後の洋画界で絶大な人気を誇った。東郷青児のコレクションがあるSOMPO美術館が、かつて東郷青児美術館と呼ばれたことでも、その名が広く知られている。
国民的画家が起こしたガス自殺
4回結婚し、それ以外にも多くの男性と浮名を流した宇野千代は、奔放な男性遍歴で知られるが、東郷の奔放さの前には千代も到底敵わなかった。
大正9年(1920)、永野明代と結婚して長男をもうけたが、昭和3年(1928)、海軍少将令嬢の西崎盈子と知り合い、初対面で結婚を申し込み、恋仲になる。だが、彼女の両親の反対でいったん破談になると、中村修子との関係を深めて、昭和4年(1929)2月、既婚のまま結婚披露宴を挙げてしまう。ところが、翌3月には西崎盈子と心中騒動を起こす。
たがいにメスで頸動脈を切り、ガス自殺を図ったのである。2人とも救出されたが、東郷ほどの奔放と破天荒は、ほかに類例がないのではないか。
千代はこの東郷の家を訪ね、玉田精磨のときと同様に、押し入れから布団を出して一夜を過ごした。だが、布団の状態が同僚教師の玉田のときと、あまりにも違った。そのときのことを、千代は『生きていく私』に次のように書いている。
〈夜が更けて、さあ寝よう、と言うときになって、「こんな蒲団しかないが」と言って、押し入れから出して来た蒲団には、血痕がこびりついて、がりがりになっていた。二人の男女の頸から流れ出した夥しい血のかたまりになったものだと分かったとき、私はそれを気味が悪いと思っただろうか。そうは思わなかった、と言ったら、人は信じるだろうか。私と東郷青児は、その夜から一緒になった〉


