県外にいる私たちには「見えない」
沖縄県の外にいる私(たち)が、何かを知ろうとしたり、考えようとしたりするときには、メディアを通じる場合がほとんどである。もちろん、現地での取材やフィールドワークといった手段はある。とはいえ、肌感覚を共有するのは難しい。
私ごとながら、30年来の友人が沖縄でインフラ産業にかかわって20年になる。彼から教えてもらった見方は、今回のこの文章にも大きな参考になっているものの、それでも、私の見解は、邪推とまでは言わずとも、推測の域を出ない。
彼をはじめとする沖縄で生きる人たちにとって、日々の生活は、基地だけでもなければ、もちろんSNSだけでもない。先に触れた共同通信の調査では、「沖縄県知事選に関連するX(旧ツイッター)投稿を分析すると、88.1%が県外から発信されていたとみられる」という。地元では、仕事があり、子育てがあり、物価高対応があり、観光があり、そして地域社会とのかかわりがある。SNSだけを手がかりにしていては、沖縄の人々の投票行動を理解できない。
加えて、半年前に沖縄県名護市辺野古沖で、同志社国際高校2年の武石知華さん(当時17歳)と船長が亡くなった小型船転覆事故もまた、県外から見れば、今回の選挙を考えるうえで気になる出来事の一つだった。
ただこれもまた、県外の視線に過ぎないのではないか。「基地か経済か」、「既存メディアかSNSか」といった問いそのものが、県外にいる私(たち)にとってわかりやす過ぎるほどまでに整理された、もしくは、整理してしまった姿にほかならない。
沖縄は「問題」ではない
選挙結果だけではなく、「沖縄の民意」を理解しようとする、そうした姿勢を捨ててはなるまい。だが、「沖縄の民意」は簡単には理解できない。これまでも、そして、今回もまた、メディアを中心として、理解したつもりの気分に浸るだけにとどまっているのではないか。
何かのせいにするのは簡単である。考えつづけるほうが、はるかに難しい。であればこそ、沖縄の外にいる私(たち)に求められているのは、わかりやすい説明ではない。それよりも、私(たち)が、なぜ、理解したくなるのか、その欲望の根本を問い直さなければならない。それは、「経済優先論」でも、「SNS悪玉論」でもなく、部外者たる人たちが、なぜ、理解しなければならないのか、という問いでもある。
9月15日には高市早苗首相と古謝新知事が面会し、沖縄の経済活性化に向けた連携を確認した。これから、辺野古移設をめぐる方針も議論されるだろう。そのときメディアは、再び「経済か基地か」という問いで沖縄を語ろうとするに違いない。しかし、古謝新知事が沖縄の何を代表しているのかは、選挙結果だけからはわからない。
かつて、沖縄返還から半世紀にわたって、私たちは「沖縄問題」という言葉を繰り返してきた。しかし、沖縄は「問題」ではない。そこに生きている人たちがいて、その人たちが一票を投じた。「問題」として理解しようとすること自体が、すでに沖縄県外からの視線を持ち込んでいる。この陥穽から、もう逃れなければならない。
検索時にプレジデントオンラインに関連する記事が表示されます

