シングルマザーは貧困と直面することが多い。企業向け金融教育を行っている勢口真理さんは「私も子2人を抱え家電量販店でパート勤務をしていたころは極貧生活を余儀なくされた。今月末、家賃が払えなくなるかも、という恐怖に怯えていた」という――。

※勢口真理『シングルマザー 億り人になる』(プレジデント社)の一部を抜粋・再編集したものです。

ご飯を食べている娘に背を向けてため息をついている母親
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離婚後、6歳の長男、4歳の長女と3人暮らし

職場結婚した夫とは36歳で別居して、3年経ってから正式に離婚しました。何より大切な子どもたちを絶対に守るためにはこの選択しかないと、覚悟を決めました。

不安がなかったかというと嘘にはなりますが、それでも腹を括って、自分で責任を取ると決め、シングルマザーという道を選択しました。

安いアパートをなんとか探して、6歳の長男と4歳の長女を連れて3人で暮らし始めたんです。長男の小学校入学が決まっていたので学区を変えるわけにはいかずに、結局、学区内ぎりぎりの一番遠い場所、駅からもとても遠い場所になんとか払えそうな家賃のアパートを探してそこに移りました。

最初のアパートは家賃5万円だったと思います。当時の私にはそれが精一杯でした。「アパートってこうなんだ……」とその時初めて知ったぐらい、上の階にはどこの国の人かわからない外国の人が住んでて、バタバタする音がもろに聞こえるんです。それまでの当たり前の生活とかけ離れていた、いえ、かけ離れ過ぎていました。

涙をこらえ、小さな後ろ姿に「ごめんね」

あの頃の一番の苦悩を今でも覚えています。長男はとてもおとなしい子で、保育園でもどちらかというと黙々と静かに遊ぶような子でした。体も華奢で細くて。そんな長男が新1年生になり、大きなランドセルと両手に私の手作りのバッグを持って初めて通学班で登校する朝。

学校までの遠い道のりを大人の都合で歩かせることになってしまったこと、大きなお兄ちゃんお姉ちゃんたちにくっついて一生懸命歩いていくその小さな後ろ姿を「ごめんね」と涙をこらえながら見送ったあの朝は今でも目にやきついています。

そんな辛い思いをして見送った後は、今度は娘を保育園に送ってからパートに出勤です。娘は比較的手のかからない子だったので時間に遅れるとかそういうことはあまりありませんでしたが、何しろ保育園までの距離が遠いので、自転車の後ろに乗せてかっ飛ばす毎日でした。

保育園に娘を預け「じゃあママ行ってくるね! 遅れないように迎えにくるね!」とバイバイして、また超特急で自転車をこいでパート先に向かう。夏はもう汗だくですよ。必死の形相で自転車をこぐママの姿があったと思います。

毎日が嵐。座っている瞬間なんてない

仕事が終わったら今度は急いで退勤して、また自転車をかっ飛ばして保育園に娘を迎えに行き、その足で今度は息子を小学校内にある学童に迎えに行きます。保育園も学童も終わりの時間があるので、とにかくそれまでに間に合うように急がないといけない、この時間との戦いが毎日です。

仕事で接客が延びるといつもヒヤヒヤして、本当は接客に集中して売上を上げたいのに、泣く泣く、早々に切り上げたりすることもありました。こんなとき、旦那さんがいる人は協力してどちらかがお迎えに行くとか出来るんだろうな、と、一馬力の苦しさを痛感する日々でした。体が2つ欲しかったですね。

2人をピックアップして、2人の荷物を抱えさせながら自転車の前と後ろに乗せて重い自転車をこいで帰宅です。疲れたなんて言ってられません。無事に家に着いたと思ったら、荷物の片付け、急いで洗濯物を取り込み、夕飯の支度をしながら子どもたちの宿題や明日の持ち物、提出物の対応。そういえば座ってる瞬間なんてなかったですね。

私は料理が得意なわけではなかったのですが、いちおう、その頃はなんとか作って食べさせてたなと思います。毎日が本当に嵐のようで、自分のことなんて考える間もなかったです。