兵庫県知事選との共通点

今回の沖縄県知事選もまた、こうした「代表されてはいない」という感覚と、既存の政治的な枠組みとのズレから考えることができるのではないか。

単純に「基地か経済か」とか、「オールドメディアかSNSか」という二項対立ではない。「沖縄の民意」として語られてきたもの、もっと正確に言えば、「沖縄の民意」としてメディアがとらえようとしてきた何かをつかみきれていないのではないか。

ではなぜ、「基地よりも経済」とか「SNSの影響」といった、シンプル(に見える)分析が語られるのか。

これは今回の選挙には限らない。2024年11月の兵庫県知事選挙でも構図は同じだった。SNSによって既存メディア=オールドメディアとは違う情報が広まった、とか、メディア不信が共有された、といった「説明」が繰り返されてきた。

なぜ「SNSのせい」にしたがるのか

私は、兵庫県知事選挙の4日後にプレジデントオンラインに寄せた記事で、「世論をとらえられず、いまだにネット(SNS)を見下している。それこそが『マスメディアの敗北』ではないか」と書いた(だから兵庫県民は「斎藤元彦知事」を選んだ…どのマスコミも報じない「60日間の戦い」で起きていた変化)。その上で、「彼(斎藤元彦知事)を見ていない、見ようとしていない態度こそ、兵庫県民を動かしたのではないか」と述べた。

兵庫県の斎藤元彦知事
兵庫県の斎藤元彦知事(写真=駐大阪・神戸米国総領事館/PD US DOS/Wikimedia Commons

今度の沖縄県知事選挙もまた、古謝玄太氏はおろか、沖縄県さえ見ようとしていないのではないか。

「基地のせい」や「SNSのせい」にしてしまえば、その前にある問いをスキップできる。なぜ、既存の報道=オールドメディアよりもSNSの情報に期待する人たちがいたのか。なぜ、既存の政治の枠組みでは「代表されていない」と感じる人たちがいるのか。そうした疑問を考えずに済む。

基地は突然できたわけではない。それどころか、米軍普天間飛行場の返還、辺野古移設は、30年前の合意であり、SNSというかインターネットが広まったのも、同じころである。1990年代の半ば、つまりは平成の初めごろから、ずっと、この2つの要素は、私たちの目の前にあったのではないか。