怒りではなく慈悲の心で導く

粗暴なことばを言うな。言われた者は、君に言い返すだろう。怒りを含んだことばは苦痛である。仕返しが君に返ってくるだろう。(法句経133)

荒々しいことばを使うな、怒りにまかせた悪口を言うな、振り下ろしたむちが自分に跳ね返るように、きっと自分に返ってくるから――。すなわち「相手に苦痛を与えることばは、いずれ自分に苦をもたらす」という戒めです。

ブッダは心の平安を得るには、身心を調ととのええるだけでなく「ことばを調える」ことも重視しました。「しんくち」の三業さんごう身体からだ・ことば・心)を調えよということです。肉体の暴力で相手を傷つけるように、ことばによっても相手を傷つけたり自ら傷つくことがある、という明快な教えがここにあります。

道元禅師どうげんぜんじは、これに呼応するように「汚いことばで僧を叱ったり、過失を言い立ててなじってはいけない。たとえ相手が道理に反した悪人でも、憎みそしってはいけない」と言っています。ではどうするのかというと、「慈悲心をもって善道へ導け、相手が腹を立てないような方法で教え導け(※)」と言っています。

セラピーにおける患者の肩に置かれた男性の手
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まず自分の怒りを捨て、「慈悲の心」によって解決する方法を考えよというのです。

相手の非に対しても怒りではなく慈悲で報いることが仏の教えなのです。

※ 『正法眼蔵随聞記』の二章に見られる。

他人に教えるように心を調える

もし他人に教えるように自分でも行うなら、自己はよく調えられて、他人を調えることもうまくいくだろう。じつに自己を調えるのは難しいことである。(法句経159)

ここで言っているのは、まず自分の心というのはぎょしがたいということ。

ではどうすればいいかというと、心の調え方を“他人に教えるようにして”自分に行うのがコツで、実際、他人を教えるときもうまくいくだろうと言うのです。要は自分を客観的に見て、自分を指導するように行えということ。

ブッダは、心安らかに生きるにはまず自己を調えよ、心を調えよ、とくり返し説いていますが、その難しさは自らの修行体験を通してだれよりも理解していたはずです。自分をコントロールする難しさをこんなふうにも言っています。

暴走しようとする馬車を制するように、むらむらと生ずる怒りを抑える者、彼をわれは御者ぎょしゃとよぶ。他の者はただ手綱を手にしているだけだ。(法句経222)

御者になれるのか、なれないのか。御者を望むなら、自分を客観的に見て、他人を教えるように「まず怒りを抑え、次に欲を手放し……」と段階を踏みつつ根気よく取り組むことです。ときにはビシッとむちを入れることも必要でしょう。