真心尽くせ人知らずとも
昭和の名僧と慕われた松原泰道(※3)老師が、若き日に旅した箱根山中で目にしたという歌碑には、こんな歌が刻まれていたそうです。
あれを見よ深山の桜咲きにけり真心尽くせ人知らずとも
そこからは、深い山中に人知れず咲く満開の山桜が見えたそうです。師は同行した仲間とこの歌のように、だれが見ていようと見ていまいと、誠心誠意尽くす生き方をしていこうと約束し、人生の「生きる姿勢」が決まったといいます。
この句の「老いに至るまで戒を保つのは楽しい」とは、現代で言うなら「生涯道徳心を保ち、世の中のためになることに励むのは幸せだ」ということでしょう。たとえば高齢者が地域のボランティア活動に尽くしていたり、通学時の子どもたちの安全を見守っている姿には、やはり頭が下がります。
「信じる心」は信頼、「智慧」は人生を豊かに生きる知恵と読み替えれば、日々の些細な行いや人とのふれあいにこそ幸福があるということをあらためて感じます。大事なのは、深山の山桜のように、人知らずとも精一杯真心を尽くすことなのです。
自己を制御して得られる自由
独り坐禅を組み、独り体を横たえ、独り歩む。そうして倦むことなく自己を調える者は、林でも森でも自由に楽しむことができる――。
これは修行の孤独を表す句ではなく、修行者は何ものにも依存することなく、ただひたむきに自己と向き合い、自己を制御せよということでしょう。
ここには、自分の煩悩を滅することができるのは自分しかいないという厳しさと、自己を調え迷いを脱したときに獲得する精神の自由があります。「独り」とは精神的に一人ということ。仏道に限らず自己を鍛える修行というのは、大勢の仲間と行うにしても、自分一人と向き合ってこそ成果が得られるものです。
「でも、独りはつらいな」と感じる人もいるでしょう。とくに若い人には孤独を恐れ、常にだれかとつながっていないと不安だという人が多いようです。
しかし、メールやSNSのやりとりで常に互いの存在を確認し合うより、ときには静かな場所に一人坐り、しばし瞑想してみるほうが、自己の存在の不可解さ、愛おしさ、そして人とのつながりをより深く感じ取ることができるかもしれません。
※3 1907〜2009年。臨済宗の僧侶。『般若心経入門』など多数の著書がある。
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