「春になれば人間が喰える」
このあたりから、加害熊の脳裏には、ある種の「成功体験」が植え付けられたのではないかと筆者は想像する。それは、
「春になれば人間が喰える」
一連の事件を、もう一度振り返ってみてほしい。
第一の事件では、逓送人が遭難したのは11月だった。しかし遺体が発見されたのは5月末(記事掲載は6月初旬)であった。喰い殺された可能性もあるが、冬眠明けの加害熊が、融雪により露出した凍死体を食害した可能性もある。
次の箸別の事件も6月に発生した。
さらに信砂と阿分の二つの事件も5月と6月。
そして最後の鬼鹿の事件も、6月に発生しているのである。
「春になれば人間が喰える」
この恐るべき人喰い熊は、冬眠から目覚めるたびに、人間の味を思い出し、山中を徘徊して、次々に人間を襲ったのではないだろうか。
加害熊は、さらなる肉の味を求めて舎熊集落に下り、人間の女を物色した。
同じ月に事件が起きる「必然」
しかし目についたのは神主であった。その匂いで加害熊は再び成人男性の肉の味を思い出し、神主を襲った。しかし目的を達することはできず、かえって熊狩りを誘発してしまう。彼は猟師の追撃をかわして、山中深く逼塞した。
そして翌年、さらに北上した鬼鹿村で高橋萬太郎を襲い、腹を半分喰い尽くしたところで、追っ手の捕殺するところとなった。
もちろんこれは状況証拠を元にした筆者の仮説に過ぎない。
しかし一連の事件が、一貫してひと筆書きに北上していること、そしてすべての事件が5月、6月に発生していることから、筆者は同一個体によるものであった可能性が極めて高いと考える。
もしそうだとするなら、この個体は、毎年春になると人肉を求めて徘徊し、増毛山道を北上しながら、手当たり次第に人を襲い、5人を喰い殺し、1名を負傷させた、稀代の人喰い熊であった。
本稿冒頭で、筆者が「必然」だと断定した理由が、おわかりいただけただろうか。
もしも福島町のあの個体が討ち取られなかったら、翌年7月に、新たな人喰い熊事件が福島町で発生した可能性も十分に考えられる。
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