介護は誰しもが担う可能性がある
超高齢社会が到来した今、介護は誰にとっても他人事ではありません。親やパートナーが介護を必要とするときが来たら、自分の仕事や生活はどうなるのだろうかと不安を感じている人もいるでしょう。すでに介護と向き合っている読者もいるかもしれません。
今から50年以上も前に、介護の現実を生々しく描いて社会に衝撃を与えたのが、有吉佐和子氏の小説『恍惚の人』です。認知症になった父親の介護に直面した家族の物語で、当時はまだ表面化していなかった高齢者福祉の問題を世の中に知らしめ、空前の大ベストセラーになりました。この小説をきっかけに、家族による在宅介護の限界や公的支援の必要性が広く認知され、日本の福祉のあり方を変えた一冊と位置づけられています。
家族にとって認知症の介護は、「あんなに元気だった人が、なぜこんなことになったのか」というショックとともに始まります。本作の場合は、父親のこんな一言で家族が異変に気づきます。
「婆さんは、いつまで寝てる気ですかなあ」
これは、急死した妻の亡骸を見て、父親である84歳の立花茂造が息子の信利に問いかけた言葉です。信利は母が死んだ悲しみで一時的に父がおかしくなったのかと思いつつ、いつもは息子に威圧的な口のきき方をしている茂造が、まるで別人のような口調だったことに違和感を覚えます。茂造は遥か彼方を見ているような遠い目をしており、「それは恍惚として夢を見ているようにも思われた」と描写されています。題名にもある“恍惚”という言葉が、すでに序盤から象徴的に使われていることがわかります。
さらに茂造が家族のことさえ忘れてしまったことが明らかになります。母親の死を聞いて駆けつけた信利の妹・京子に「あなたは、どなたでしたかな」と尋ねる茂造。それどころか一緒に暮らす信利のことも誰だかわからないと話します。ところが信利の妻である昭子だけは、「分ってますよ、昭子さんです」と即答。血を分けた息子と娘のことは忘れて、なぜか義理の娘は覚えているようです。
この状態の茂造を家で一人にしておくわけにはいかず、誰が面倒をみるのかという話になるのですが、信利はその話題に触れることさえ嫌がります。
「僕はこういう人間を眼のあたりに見たのはこれが始めてなんだ。それが実の親なんだから、ショックというのはこれだな」
そう言って、妻の昭子に介護を押し付けようとします。
「こういう結論が、昭子には我慢がならないのだった」
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