悪口を言われるのは自分がすごい証拠
自分が不利な立場に置かれたり、不当に低い評価を受けたりすると、「なぜこんなに世の中は不平等なんだ」と嘆きたくなるかもしれません。「どうせ頑張っても認めてもらえない」と諦めたくなることもあるでしょう。
世界人権宣言の第一条でも明記されているように、現代社会において、自由と平等はすべての人間に保障された権利とされます。ただしそれは決して当たり前の権利ではなく、先人が苦労して勝ち取ってきたものです。
例えば日本の女性が選挙権を得たのは戦後のことで、それ以前は投票の権利がありませんでした。ほんの80年ほど前まで、性別が異なるというだけで、これほどの不平等が存在したのです。昭和20年になって、ようやく女性の参政権を認める法案が成立したのは、その権利を求めて闘った人たちがいたからです。「平等は与えられるものではなく、勝ち取るもの」と考えれば、自分で道を切り拓こうとする力が湧いてくるのではないでしょうか。
芸術や文化の世界でも、自らの実力と情熱を武器に闘ってきた女性たちが大勢います。その筆頭が、明治から昭和初期にかけて活躍した日本画家であり、1948年に女性として初めて文化勲章を受章した上村松園です。
宮尾登美子の小説『序の舞』は、松園をモデルにして書かれたとされます。あくまでフィクションであり、すべてが事実に基づくわけではありませんが、主人公が男性社会の中で画家としての地位を確立していく過程は、松園の人生と重なります。
子どもの頃から絵を描くのが好きだった島村津也は、小学校を卒業すると画学校へ進みます。母親の勢以は娘の最大の理解者となり、絵に打ち込む津也を応援しますが、周囲の目は冷ややかでした。
「津也には家のこと何ひとつさせず、上げ膳据え膳で絵ばっかり描かせてるそうやないか。呆れてものがいえんわ」
当時はこれが一般的な反応でした。女性が自分のやりたいことを見つけ、好きな道に進む。ただそれだけのことが極めてイレギュラーな時代だったのです。
津也はその後、京都の画壇で名を馳せた高木松渓や福野魁嶺に師事しながら、「島村松翠」の雅号で創作に励みます。しかしどこへ行っても女性は津也ひとりで、師匠も兄弟子たちも男性ばかり。彼女の才能を認めようとせず、妬みや僻みから足を引っ張ろうとする人間も少なくありませんでした。
津也が弱冠19歳にして、シカゴ万博に出品した作品が二等賞を受賞する快挙を成し遂げたときも、祝福するどころか、彼女に敵意を向ける人までいました。「誰のいたずらか、島村松翠の木札の下に昨日の日出新聞の切抜きが貼られてあり、しかもその切抜きには『汝驕るなかれ』と朱で大書してあったのである」
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