何でも口に出せばいいわけじゃない
人間関係を深めるには、腹を割って話すことが大事だとよく言われます。同じ職場になかなか本音を言わない同僚がいると、「この人とは腹を割って話せそうにない」と苦手意識を持つことがあるかもしれません。
しかし、何でも包み隠さず話すことがコミュニケーションとして正解とは限りません。むしろ言いたいことを口に出さず、腹の中に納めておくからこそ、成り立つ関係もあるのではないか。夏目漱石の晩年の作品である『道草』を読むと、そんなことを考えます。
物語は主人公の健三と、その妻である御住の夫婦関係を軸に展開します。ところがこの二人、絶望的なまでに会話が噛み合わないのです。健三は海外留学帰りの大学教員で、いわゆるインテリです。彼は家に帰ると書斎に籠もり、大量の書物に囲まれて、一人で書き物や考え事をして過ごすのが常でした。そんな彼を親類たちは変人扱いしますが、健三は腹の中でこう考えます。
「教育が違うんだから仕方がない」
自分は一流の教育を受けた知識人だから、学のない人間は自分を理解できなくて当然というわけです。本作には「腹の中」という言葉が頻出しますが、これは健三が自分の本心を口に出さず、抱え込むタイプであることの表れでしょう。
そんな夫を御住はどう見ているかというと、これが辛辣です。
「『やっぱり手前味噌よ』/これは何時でも細君の解釈であった」
あなたは自分が優秀だから周囲とそりが合わないと思っているけれど、自分に都合よく考えているだけで、実際はただの偏屈者なのよ。「手前味噌」の四文字には、そんな手厳しい批評が込められています。夫の腹の中を見抜き、鋭く指摘する御住の観察眼はなかなかのものです。
健三は自分を理解しない妻を忌々しく思い、叱りつけたり、頭ごなしにやり込めようとします。妻は自分より頭が悪いと決めつけ、論理の力で相手をねじ伏せようとするのです。しかし御住の耳には、夫の言葉がこのように聞こえます。「彼の癇癪が細君の耳に空威張をする人の言葉のように響いた」
こんなふうに二人のコミュニケーションは終始ずれまくっています。お互いに話が通じない相手だと思っているので、普段の会話も当然少なくなります。
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