今に集中しなければご飯もおいしくない

年齢を重ねても健康でありたいと願うのは、ごく自然なことです。ただしその考えが行きすぎると、「これを食べると体に悪いのでは」「もっと体を動かさないと」と頭の中が健康のことでいっぱいになり、ついには「病気が怖い」「死ぬのが怖い」と不安に苛さいなまれるようになります。健康を重視するあまり、ストレスが増大して心身に悪影響を及ぼしたら、本末転倒です。

死や病の不安から解放されたいなら、「禅マインド」を取り入れるのがお勧めです。

「禅は悟りの修行である。悟りは解放を意味する」

これは仏教哲学者の鈴木大拙だいせつが『禅と日本文化』に記した一節です。

この著書は大拙が1936年に英国や米国で行った講義などをまとめた英語の書籍として出版され、禅を世界中に知らしめた名著として読み継がれています。私も高校時代に本書を読み、著者の大ファンになりました。59年には大幅に加筆修正した完全版が米国で出版され、今回の出典である角川ソフィア文庫版は、その日本語による初の全訳となります。

本書で語られるのは、禅が日本文化に与えた影響の大きさです。例えば日本芸術との関連を論じた章では、禅と水墨画の双方に共通する点として「創造性」を挙げています。事前に下書きもせず、真っ白な紙に筆を下ろし、一気に描き上げる。いったん筆を下ろしたら、もう取り返しはつきません。描き直すことができないまっさらな空白に、一つの世界を創造する水墨画は、仏教の「空くう」に通じると大拙は考えました。

取り返しのつかない“今”を生きる。これこそが禅です。

過去の後悔や未来の不安に囚とらわれていると、今この瞬間を生きることができません。「あのときこうすればよかった」「これから悪いことが起こったらどうしよう」と思い煩っていたら、目の前に広がる景色の美しさも、今食べているご飯のおいしさも、まったく感じられないでしょう。

そこで禅は過去と未来を断ち切り、今ここにしかないものを感じることに集中します。そのためには自分自身を「無」にしなければいけません。

仏教はブッダが悟りを開いた経験に始まり、それを受け継いだ達磨だるま大師が壁に向かい9年間座禅を続けたことにより、禅宗が開かれました。何年も壁だけを見ていると、他人の目が気にならなくなり、他者を意識しなくなると、自分を意識することもなくなります。

(構成=塚田有香 撮影=川しまゆうこ イラストレーション=米山夏子)

検索時にプレジデントオンラインに関連する記事が表示されます

【関連記事】
本音を言わない相手ほどうまく付き合える理由
40年ぶりに再会してもすぐ戻る不思議な関係
なぜ外食のパンはいつも「焼き立て」なのか…特許独占を手放した広島のパン店の信念
一般会計は20年で1.5倍に拡大…それでも「緊縮財政」なのか?
レンタカー店に登場した「かんばん」