行動が制限されて不自由さを感じたら

春は異動や転勤などで人が動く時期です。皆さんの中にも、4月から新しい職場で働く予定の人がいるかもしれません。

同じ会社でも、部署や勤務地が変わると、環境がガラリと変わります。それまでの経験が役に立たなかったり、新しい職場の流儀に馴染めなかったりと、戸惑うことも多いでしょう。

あるいは役職定年などで組織内での肩書や役割が変わり、これまで難しい仕事を任されていた人が、簡単な業務しか与えられなくなるといったケースもあります。それまで責任ある立場で仕事をしていた人ほど、自分の権限や行動が制限されたように感じて不満を抱き、「ここから逃げ出したい」と思うかもしれません。

未知の環境に突然放り込まれたうえ、一切の自由を奪われ、逃げ出すこともできない。そんな極限状態に陥った人間の姿を描いたのが、安部公房の『砂の女』です。20カ国語以上に翻訳され海外での評価も高く、戦後の日本文学を代表する傑作の一つと称されます。

物語は荒唐無稽こうとうむけいなシチュエーションで展開します。昆虫採集に出かけた男が、砂丘の穴の底で埋もれかかった一軒家に閉じ込められてしまう。砂の壁を登って逃げようとしても、さらさらと崩れて外には出られない。一軒家には女が住んでおり、男は彼女と2人で暮らすことになるという設定です。

自分が望んだわけではない場所で、自分が選んだわけではない見ず知らずの相手と、生活しなければいけない。不条理極まりない状況ですが、考えてみれば昔はお見合い結婚が主流で、本人同士は互いをよく知らないまま、親や地域の世話役が薦める相手と夫婦になることが珍しくありませんでした。

現代日本に生きる私たちは自由に慣れすぎて、何でも選択できて当たり前と思っていますが、時代や国が変われば、自分の意思で何かを選ぶことが許されない人も大勢いるのです。

砂の女
名言出典=『砂の女』(新潮文庫)

とはいえ本作の場合、外界と完全に切り離され、水さえ自力では入手できない砂の底に幽閉されるという異常事態ですから、男はあらゆる方法で脱出を試みます。しかしどれも失敗に終わり、女と奇妙な同居生活を続けるうちに、やがて男はこの非日常的な環境に順応し始めます。

「男が、繰返される砂との闘いや、日課になった手仕事に、あるささやかな充足を感じていたとしても、かならずしも自虐的とばかりは言いきれない。そうした恢癒かいゆのしかたがあっても、べつに不思議はないのである」

天井裏の砂を払ったり、砂まみれの衣服を洗濯したりといった仕事は、男にとって日常のものになりつつありました。「すくなくもその間は、鼻歌まじりに時がすぎ去ってしまってくれる」という一文があるように、単調な手仕事がある種の癒やしをもたらしたのです。

(構成=塚田有香 イラストレーション=米山夏子)

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