「20浪も30浪も変わらない」と笑える危うさ

19年間、山田さんの成績は少しずつ伸びていきました。模試では東京大学がC判定まで到達し、最後の年がキャリアハイだったといいます。

「受験勉強に根を詰めてはいませんでした。むしろ1年死ぬ気でやったら、伸びしろがなくなってしまうのではないかと思います。毎年少しずつやっていたから、逆に伸びしろが残っていたのかもしれません」

勉強をする人の手元
写真=iStock.com/takasuu
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2浪目以降は東京大学以外を受けることはほとんどなく、「東大対策をしていれば、他の大学はクリアしているだろう」という甘い考えもあったといいます。

最後の年に一度だけ、九州大学の後期日程を受けましたが、そのための対策は一切していなかったそうです。

そんな山田さんに「もし九州大学に合格していなかったら浪人を続けましたか」と聞くと「体が元気だったら、続けていたかもしれない」と答えました。

「19浪している時点で、19浪も20浪も大きくは変わらないと思います。もっといえば、20浪も30浪も変わらないはずです」

そう笑って話す山田さんの言葉には、ある種の危うさも透けて見えますが、山田さん自身が持つ、人間としての強さが宿っていると感じました。

筆者自身は、受験勉強を9年続けましたが、伸びしろを翌年に残すという発想自体がなく、切羽詰まっていました。仕事で受験費用を稼いだ最後の2年半は、1日12〜15時間の勉強を自分に課していたので、精神的にも常にギリギリの状態でした。

ですが山田さんの19年は、伸びしろを毎年少しずつ使い切らずに残していく、いわば“長期戦”の戦い方でした。19年間「来年がある」と思い続けられる心の強さは、私にはなかったものだと感じます。

20回目の受験は、東大ではなかった

最終的に、山田さんは東京大学ではなく、九州大学に後期日程で合格しました。合格した時点でも「絶対に東大に行こう」という気持ちは変わっていなかったといいます。しかし、当時80歳になっていた母(1924年生まれ)が病気がちになっていたこと、東京からでは簡単に帰省できないことが、山田さんの背中を押しました。

「九州大学なら、母の面倒も見られるし、大学にも通える。それでいいかと思ったんです」

待ちに待った合格の瞬間は、喜びはほとんどなく、呆気ないものだったそうです。

「やっと一区切りついたかなという感じでした。自分が望む旧帝大で、名前のある大学には入れたなという感覚です」