アルバイトが本業、勉強は副業だった
浪人生活の19年間、山田さんはアルバイト漬けの生活を送っていました。
「東京はアルバイトの種類も豊富ですし、時給も高かったので、ありとあらゆる興味のあるアルバイトをしていました。それがとにかく楽しくて楽しくて、好きなことばかりしていました。お金を稼ぐための労働というより、楽しいことをやってお金をもらえる、という感覚でした」
亀戸の居酒屋「魚民」で5年、その前はデニーズで5年。ほかにもカラオケボックス、水商売のボーイ、工事現場での日雇い労働まで経験しました。山田さんにとって、接客の仕事は何よりの楽しみであり、いつしかアルバイトが本業、勉強のほうが副業のようになっていきました。
もちろん、アルバイト先で浪人生だと公言していた山田さんは、周囲から「大丈夫か」と心配する声がかかることも少なくありませんでした。
「すごくよく(大丈夫かと)言われたんですが、私は人の目を気にしないタイプなんです。よく言われましたけど、いい大学に入りたいという見栄がありましたから。お風呂に入って寝たら、忘れました」
兄の「何のために」と、翌日の「俺の人生」
その19年という歳月のなかで、山田さんに最も辛辣な言葉を投げかけたのは、近くで山田さんの面倒を見る兄でした。
「兄は、弟のていたらくをどうしても我慢できなかったんだと思います。『なんのためにお前は何年も浪人を続けてるんだ』とよく言われました。叱られた直後は落ち込むのですが、次の日になると、『俺の人生なんだし』と楽観的になるんです。アルバイトでそれなりに稼げていたこともあり、『早く就職しなくては』という焦りに追い立てられることはありませんでした」
19浪を経て、ようやく大学に受かったことを兄に報告したら、「やっとか」くらいの塩対応ではあったそうですが、内心は安心していたのではないでしょうか。

