丘の頂上に現れる巨大な裂け目
ところが、チュキカマタには実に珍しい2つのものがある。1つ目は、町の広場から北東の地平線の山々に向かって蛇行する主要道路を進むと見つかる。
1、2分も走れば、住宅地はコンクリートとトタンでできた巨大な倉庫群に変わる。奇妙な暗い貯水池や埃っぽい車両基地があり、岩を積んでできた小山があちこちに見える。
さらに何度かハンドルをきってトンネルを抜けると、突然目の前に巨大な裂け目が現れる。丘であるはずのこの頂上に、とてつもなく大きな峡谷があるのだ。
底はほとんど見えず、両側の斜面はめまいでよろけそうになるほど急である。
しかし、これは峡谷ではなく、チュキカマタ銅山である。アタカマ砂漠の山並みをえぐってできた堂々たる穴だ。
縦横の幅がニューヨークのセントラルパークよりも広いこの裂け目は非常に深く、もし世界一高いビルである中東ドバイのブルジュ・ハリファをこのなかに落としたら、避雷針もろとも完全にのみ込まれてしまうだろう。
歴史上、どこよりも多くの土がここから運び出されており、現代の優れた土木構造物のなかでも群を抜く工学的脅威のひとつである。
緑色に染まった「銅の男」
銅はここで何世紀にもわたって採掘されてきた。
この鉱山の近代的な物語が始まるまであと10年と少しという1899年のことだが、地下2、3メートルのところで道具とともに埋まっている坑夫の遺体が、偶然にも探検家によって発見された。
オーストリア・ハラインの岩塩坑にいた古代ケルト人の坑夫のように、掘削中に坑道が崩れて地中に閉じ込められてしまったのだ。
何世紀も前の遺体だったが(その後の放射性炭素年代測定によって、西暦550年ごろと推定された)、銅を多く含む塩の膜によって保存され、その抗菌作用によって腐敗を免れていた。
髪は細かく束状になっており、肌は酸化した銅によって不気味な緑色に染まっていた。この亡骸は「銅の男」として知られるようになり、現在はニューヨークのアメリカ自然史博物館で見ることができる。
その昔、この鉱山で行なわれていた採掘が、古代に起源を持つ職人による小規模な交易だったことの名残である。何もかもが超大型化してしまった今では、地上にはそのような気配は微塵もない。

