片手で閉められる「磁石ファスナー」という“果実”

YKKが追っているのは新興国のボリュームゾーンだけではない。中国では高価格の商品を買う層が増え、日米欧でも、より高機能な商品を求める顧客は根強い。ハイエンド市場でも、さらに進化する必要がある。

松嶋氏が社長になった2025年からの中期経営計画では「わくわくする商品提案」を重点項目の一つに掲げた。外部の先端企業とも連携し、新技術を使った高付加価値商品の開発にも力を入れる。

松嶋耕一社長
筆者撮影
松嶋耕一社長

松嶋氏は「これも二兎を追う戦略です」と話す。その一例が、すでに中国市場に投入しているが、磁石を使ったファスナーだ。

開発のきっかけは、担当者が聞いたトライアスロン選手の声だった。水泳を終えて自転車に乗り換える際、普通のファスナーを閉めるには両手を使わなければならない。そこで選手から「自転車に乗りながら両手でファスナーを閉めるのは危険、片手でも締められるファスナーはつくれないか」という要望が寄せられた。

開発したファスナーは、左右を近づけると磁石の力でくっつく。脱ぐ時も引っ張ればファスナーが離れ、片手でも着脱できる。現在、中国では高価格のスポーツ用品などで使われている。こうした新商品はハイエンドのアパレル商品にも活用できる「わくわくする」商品になるかもしれない。

磁石を使ったファスナー。YKKのYouTubeより
磁石を使ったファスナー。YKKのYouTubeより

ボリュームゾーンでは、より多くの人が使える商品をつくる。一方で、ハイエンドではこれまでにない機能を持つ商品をつくる。YKKはここでも「二兎」を追っている。

創業以来の思想への原点回帰

YKKの創業者、吉田忠雄は「世界のより多くの人にYKKブランドのファスナーをご利用いただきたい」と考え、ファスナーが地球儀をぐるりと囲む様子をデザインした社章を1993年まで使っていた。

大谷裕明会長は「昔の社章の意味することは、自分たちが得意な一部セグメントの顧客だけに価値提供するという思想はYKKにはないということです」と言う。

YKK・大谷裕明会長
筆者撮影
YKK・大谷裕明会長

ハイエンドか、ボリュームゾーンか。どちらかを選ぶのではなく、「あれもこれも」と追い続ける。それは新しい戦略というより、世界中の人にファスナーを届けようとしたYKKの創業以来の経営思想への原点回帰でもある。

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