価格から機能へ、中国ブランドからの要求が変わった

10年以上にわたるボリュームゾーン攻略の成果が、いま最もわかりやすく表れているのが、中国ブランドとの取引だ。

中国、ベトナムなどでの勤務が長く、現在は事業戦略本部長の敷田透取締役は、21世紀に入ってからの中国の大きな変化についてこう話す。

YKK・敷田透取締役
筆者撮影
YKK副社長・事業戦略本部長の敷田透さん。1992年入社。99年3月から2025年3月まで中国、ベトナムで勤務。YKKベトナム社長など経て、25年4月より現職

「2020年以降はスポーツ商品でもアディダス、プーマ、Nikeなどと競争するようなANTA(アンタ)やLi-Ning(リー・ニン)などの中国ブランドが台頭し、中国の消費者から支持されるようになりました。そういった中国企業との取引も過去の努力のおかげで、花開いています。いまでは値段ではなく、『YKKの中で一番進化したファスナーを持ってきてください』と要求される状況です」

ANTAは中国最大のスポーツ用品ブランド。またLi-Ningはマラソンの大迫傑選手が2025年から使用しているシューズをつくっている中国のスポーツブランドだ。スペインのバレンシアマラソンで2時間4分55秒の日本新記録を叩き出した時もLi-Ningのシューズを履いていた。Li-Ningは今では欧米、日本でも徐々にシェアを伸ばしている。

それは今の自動車産業で起きている状況とも似ている。BYDやXpeng(シャオペン)、NIO(ニオ)などがEVで中国市場でシェアを伸ばし、海外市場にも進出し始めた。日米欧の自動車メーカーにしてみれば長らくライバルとは呼べなかった中国の新興メーカーが一気に肩を並べ、EVや自動運転などでは先を走る分野もある。「中国勢の開発スピードの速さには驚く」という声が国内メーカーからは聞こえてくる。

YKKは、こうした中国企業が世界的な競争力をつける前から、ボリュームゾーン市場に入り込み、取引を重ねてきた。中国市場のスピード感は日本市場を上回る。そのスピードに対応し続けたことで、価格だけではなく、より高機能なファスナーを求められる関係へと変わっていった。

もしもYKKが2012年ごろからボリュームゾーンの市場開拓を本格的に進めていなければ、ANTAやLi-Ningなど中国ブランドとの現在の関係は生まれていなかったかもしれない。

かつては「のんびりした会社」だった

中国市場への挑戦は、新たな顧客を獲得しただけではなかった。YKKという会社そのものを変えることにもなった。

敷田氏はこう振り返る。

「私が入社した1992年ごろ、YKKはファスナーではすでにトップ企業だったので、割にのんびりした会社でした。ところが2012年ごろからは危機感が生まれ、ボリュームゾーン攻略が始まりました。中国の厳しいお客さんにチャレンジすることで自分たちの体質改善につながりました。会社は変わる、変えられると思いました」

1990年代後半から、日本の製造業は中国など新興国メーカーとの価格競争を避け、技術力を生かした高付加価値品市場へと舵を切った。当時、そうした戦略は多くの人が正しい戦略だと考えていたと思う。新興国市場という薄利多売の市場で戦うのではなく、日本の技術を活かしたハイエンドで稼ぐ――。とても合理的な戦略に見えた。だが結果論で言えば、どちらかといえば失敗した企業の方が多いのではないか。

だがYKKは、高付加価値品に特化する道を選ばなかった。ハイエンドを守りながら、ボリュームゾーンにも出ていく。性格の異なる二つの市場を同時に追ったのである。なぜYKKは「二兎を追う」戦略を進めることができたのだろうか。

その問いを考えるとき、2024年10月に開かれたYKKグループ90周年の集いで流れた野中郁次郎・一橋大学名誉教授(25年1月死去)のメッセージが示唆的だ。

「御社は社員、株主、経営層が一丸となって経営活動で直面する様々な矛盾を、『あれもこれも』の二項動態を実践し、克服してきました」